14、15日と全国的に、毎年の大学センター試験が終わった。
近大姫路大学も試験場になっており私も監督として参加した。朝も早いので姫路に2泊した。
私は初参加(親族が受験故…)だったのだが、噂どおり物凄く大変な業務だった。とにかく、ミスをしないように全国の関係者全体が戦々恐々とおびえている状態とも云える。
今回は全国の様々な試験場でミス、トラブルが多発したようでニュースでも流れていた。
話は、かなり跳んで理解されないかも知れないが・・・、私は何だか最近この日本の国の在り方に疑問を持っている。
国民の『画一化、管理化』が(姿の見えないものから)一層進んでいる気がする。
その一番象徴的な、そして表層化している現象を加速化させているのはマスコミだと思う。
何か事件が起こるとそれに群がり、そのある事ない事様々な情報を得てテレビ等で報道する。もちろん我々国民は、それを知る権利がある訳だが・・・。それが時々において過剰になって「魔女狩り」的な現象に陥っていると感じること多し。
人間はすべて「平等である」或いは、平等であるべきだという正論に基づき社会的改革をなそうとするのは良い事だと私も思うが、その理想と現実の狭間でのバランスというか、その現象が絶えず「負」に対する制裁、駄目なもの、ミスした組織への国民全体での批判、攻撃のようなものに摩り替わっているような気がするのだ。
その結果、我々国民は、知らず知らずの間に巧妙に「管理化」「画一化」され、不祥事(失敗する事)を恐れ、生命の躍動とも云える「良いことをしよう」というプラス思考がつぶされてしまうのである。
例えば・・・、なんで皆が大学に入らにゃならんのや? それ自体が変なことやろ!?
人それぞれ価値観や生き方が違うから、自分の好きなように人生を歩めばいいはずだ。・・・しかし、それが出来ない(出来にくい)世の中になっている。
『○○○だと将来○○○になるから、○○○をとりあえずやっておく』…みたいな十代が、その意味も分からず、大人たちがそうだから(世の中がそうだから)、親がそう言うから・・・等々。そんな風潮がずっと蔓延している。
一番の解決は、自分の本当にしたい事を探すことである。
そして、そのしたい事が社会にとって有益なことなら尚更いいし、有益でなくても害にならなければいい。
「世間が…親が…」ではなく、「自分のしたい事」を見つけ(見つけられなくても)その若い感受性の中で「弱者強食」の現実を体験してほしい。マイナス的なところばかりを修正するのではなく、失敗してもいいから、自分の思うプラスな生き方をしてほしいと思う。
そして、大人たちは、その責任をしっかり感じ、自らの人生を考えるべきだ。
理想論は、人々の生きざまのそれぞれのところで様々な形となって現れるが、少なくとも私は、自分の中ではその理想を保っていたいと思う。
以上、最近の雑感でした。

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