2004/10/03
*参照
「ホロヨイ憂国至情の板」
http://6626.teacup.com/takitaro/bbs
Question: てるてる
Answer: 友北
Q1.脳死患者の「死」の定義について
こどもの場合、脳死と診断された後、おとなでは考えられないほど長期間、心停止までその状態が持続したり、背が伸びたりします。
最近は、おとなでも、1ヶ月ぐらい脳死状態が持続することがあります。
私は、脳死を死と生の中間にしといたらいいじゃないか、と思います。
実際に、韓国では、脳死を生と死の中間として、家族同意だけでも臓器提供できるようにしていますが、これについて、どう思われるでしょうか?
A1.脳死患者の「死」の定義について
「死」は、法的なものでもあります。
「生」が、法的なものでもあるのと同じく。
ちなみに、刑法上の「生」は児頭が膣口からすれば「生」であり、頭に何か刺すようなことで死なせば、「殺人罪」になります。
昔は全部露出説とか、それ以前は最初の呼吸説とかいうものだったのですが、まあ色々な事件があったのでしょう。
「移植するかどうか」で「脳死を死とするかどうか」を定めるなど、法律関係者にとっては、まったく信じがたいものです。
1−死は一律でなければ困る
2−恣意的な操作で変更可能であっては困る
1の方ですが、法律関係では、まさにこれを当然と考えてますよね。
時期が変わったりすると、相続問題、税金問題(あー、1週間早く死んでいてくれれば、あと一週間もっていてくれれば、などということは実際あるのです。)などで、不公平というかトラブルが生じやすく、弱るのです。
例えばですね、交通事故で父母と子がともに死ぬ、などど言うことがありますよね。
3者が同時に死ねば、又は同時死亡の推定を受ける状態ならば、父の損害賠償請求権と財産、子の賠償請求権の2分の1は、父方に行きます。
母のと子の2分の1は母方にいきます。ですが、例えば母だけは心臓死ではなく、「脳死」だとして、その脳死を法的には「死」でないとしたとき、子の賠償請求権のすべてと、夫の3分の2(父方の祖父又は祖母がいるとき)又は4分の3(夫の兄弟のとき)が、いったん母に帰属するので、母方に行き、父方は少なくなります。
また、子のみが前記の「死ではない脳死」として、後に死亡したときは、いったんすべてが子どものものとなり、祖父母がいればいいのですが、いなければ国庫に帰属します。
私は脳死については、診断基準を厳格にして、すべて「死」とすべきものと考えています。
「死の時期」は、脳死判定を始めると決定した時にすべきものと思います。
私の言うのは、時間のかかる判定において「脳死」と判断したとき、「死亡時刻」は、判定を始めると決めた時、にすべきだと思うということです。
医師は「ただいま判定により脳死として死亡されました」ではなく、「やはり脳死になっていて、死亡されていました。」と医師は言うことになります。
2の方は、もはや混乱してもやむなしということなのだろう、と。
医学の進歩で、良くも悪くもルーズになってきてしまっていて、もはややむをえないのかもと思います。
まあ、心臓死も、「臨終です」と医師が診断したときが死亡時期というのが実態ですよね。
んで、止まっていた心臓も動かして家族が来るまでは「生かしておく」とある事態をみたとき、ある程度は恣意的なものが入ると。
とある事故死をした幼児の場合、臨終です、と言われた後に、親がまだ何とかなるのではっ、といって胸を叩き、心臓がなんとまた動き始め、5分間もったとのこと。立ち会った医師は恥ずかしそうにしていたが、それは、医学的・生物学的には互いに受容すべきことでして。
Q2.
現行法では、臓器移植のための法的脳死判定は、本人の事前の書面による承諾と、いざそのときになってからの家族の拒否がないことが必要になっています。
でも、法的脳死判定の前の、臨床的脳死診断には、本人の同意も家族の同意も必要ありません。
臨床的に脳死と診断されても死亡宣告はされません。
もし、移植のための「法的脳死判定」というものをなくしてしまって、臨床的脳死診断だけで死亡宣告をする、それも1回目に遡ってそのときを死亡時刻とする、というとき、脳死診断をする前に、これをすると、患者の死亡を宣告することになるかもしれないけどいいですか、と患者の家族に断わってから、する必要があると思います。
A2.
もちろんです。「脳死は死」なのですから。移植と関係なく。
そして、そんな説明もする必要がないほどに、その考えを普及させないと。
CTを見せることはかなり広がっていますし、遺族らとしても、諸措置を外して、やがては止まることで納得できやすいと思います。
スパゲッテイー症候群は、意識など少しでも回復する可能性がまったくないんだ、と分りつつされるのも辛いものかと。
Q3.
以前、脳死でなくても、家族のどっちが先に死んだかがわからず、患者の親族から、こっちが先に死んだことにしてくれとか、あっちが先に死んだことにしてくれとか、いう意味のことを言われて困った、という医師の体験談を読んだことがあります。
ですから、死亡時刻と相続の問題は、脳死に限ったことではないので、相続の問題があるから、脳死は一律に死とするべき、とは、ならないと思います。
A3.
もちろん、だが問題となる範囲を更に拡げる必要もないと。
Q4.
私が相続の問題ときいて考えるのは、たとえば、植物状態の人の財産権や所有権は、家族が代行しているだろう、ならば、脳死を死としなくても、家族が代行すればいいのじゃないか、と思うのです。
A4.
甘いです。それは。
植物人間段階から、というか、老人病院に入院している程度で、色々な法律相談が来るものです。良くあること。
誰かが勝手にしているとか、ね。まして、相続順位の問題ともなれば、と。
すべて脳死は死と認めないのならば、混乱しない。だが、脳死状態を「生」とするのは間違っていようと。
Q5.
脳死を、社会的に死とするように法律で決めることはできるでしょうが、それならば死と認めない人々の立場も認めるという例外規定をくっつけることが必要と思います。
USAとオーストラリアには、州によって、宗教上の理由で脳死を死と認めない人の立場も認める法律があります。
A5.
>脳死を、社会的に死とするように法律で決めることはできるでしょうが、
??、「社会的に死とする」のは社会です、私は法的に「死」とするかを言ってます。脳死の場合「法的に死」と宣言し、「社会的にも死」と言うことを認めていってもらうしかないだろうと。
>死と認めない人々の立場も認めるという例外規定をくっつけることが必要
それは、絶対にすべきことでないです。宗教の違いによって、死亡時期が違っていいはずがない。
ミイラでも、「死んでいない」という宗教的立場もあるんですよ、真実「信じている」のです。

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