2009/5/21

A Scary Moment  Daily Life

クリックすると元のサイズで表示します


母が急病を患い、しばらく実家に行っていました。
私の両親はこれまでに大病を患ったこともなく、このままいつまでも元気でいるような気がしていましたが、普段はあまり気付かなくても確実に老化は進んでいるのだなぁと今回初めて感じました。

今回のことは誰よりも母本人が一番驚いているようです。
母から電話がかかってきたのは先週某日の朝、7時過ぎ。「もう、ダメかもしれない」という母に詳しく状況を訊くと、血圧が200以上に上がって、心拍数も相当高く、呼吸ができないと言います。父はあいにく日課の朝の散歩に出かけていて、妹たちにも連絡がつかず、自分で救急車を呼んだとのこと。数年前に他界した伯母のこともあったので、母は多大な恐怖を感じていたようです。その反面、こんなに苦しいのならもう死んでもいい…とまで思ったとか。

私はその日は楽しみにしていた予定があって、母の状況説明と私の予定を量りにかけて、予定の後に実家に駆けつけても大丈夫なんじゃないかと一瞬躊躇いました。けれど、母の言葉通りに「もうダメ」だったら、私は自分を一生許せないだろうと考え直し、一緒に出かける予定だった友人に連絡しました。

すぐに荷物をまとめて新幹線で長野に向かい、病院に駆けつけると、母は投薬で血圧も下がり、すっかり落ち着いていました。命に別状はないとのこと。ふうむ。複雑な心境。まぁ、何事もなくてよかった。

せっかく来たのだから…としばらく実家に滞在することにしました。
いつも思うのだけれど、長野は本当に空がきれいです。冬の景色ほどではないけれど、朝方は遠方に北アルプスがくっきりと姿を現して、見事です。5月だというのに朝の気温が4℃なんていう日があって、気持ちよく外を走りました。冷たい空気が肺に入ってくる感覚がなんとも言えません。景色もよく、街路樹が朝日を遮ってくれて、どこまでも走っていけそうな気がしました。しかし、実家の近くでは朝に近所を走っている人など皆無で、私は怪しいサングラスにタイツ姿で、完全に不審者でした。(^^;)

母の容体も落ち着いたので家に帰ってきたら、息子は心なしか嬉しそう。…というのは、私に久しぶりに会ったから…ではありません。息子は私が留守にしていた間、すっかりシンデレラと化していたのでした。放課後はいつものように友達と「Hang-out」することも許されず、まっすぐ帰宅して夕ご飯を作っていたのだとか。私が家に帰ってきたら、洗濯物がバルコニーに干してありました。ジーンズの裾なんてしわくちゃなまま。ご苦労様。(笑)

帰りの新幹線の中でたまりにたまったPodcastを聴いてきました。
The New YorkerのFictionは毎月1回更新されるのですが、約30分ほど集中して聴くことのできる時間がなかなかとれず、ずっとiPodの中に入ったままになっているのです。それなので、たまに長い時間電車に乗ることがあるとPodcastを聴くことにしています。

今回はAleksander Hemonというボスニア出身の作家が選んだ短編で、その短編自体についてはすっかり忘れてしまいましたが、Aleksander Hemonという人の英語能力に圧倒されました。この人の作品は以前何かの短編集で読んだことがあり、戦火のボスニアを逃れてアメリカに渡り、たったの3年で英語で文章を書くことを習得したのだそうです。The New Yorkerの編集者との会話を聞いていると、言葉の選び方や口調がとても外国人とは思えないほどしっかりしていて、私だって18歳から英語を話しているけれど、この違いはいったい何なのだろう…と情けなくなりました。英語ばかりではなく、全てにおいて頑張らないといけないなぁと触発されました。

そして昨夜は「アメリカン・アイドル」のファイナル・パフォーマンスでした。先週は長野に行っていたので見られずに、誰が残っているのだろうと思っていました。もうアメリカでは結果が出ているはずですが、今夜のお楽しみのために極力英語のサイトでニュースを見ないようにしているのです。アメリカン・アイドルを見ていていつも思うのは、みんなそれぞれに過信ではない自信を持っていて、堂々としていること。関係のない他人が何を言おうとお構い無しで自分らしさを貫く…。私自身も比較的「わが道を行く」傾向にあるとは思いますが、彼らのそんな姿勢には羨望さえ感じます。だから毎年繰り返し見てしまうのかなぁ。

この頃、見えない何かに背中を押されている気がします。
今、やらなければいけないことがあるんじゃないか…と。
人生なんて束の間のこと。こんなことをしていていいのかなぁ。
こんな時にタイミングよく「Dream on」がかかるのは…、やっぱり見えない何かが…。

クリックすると元のサイズで表示します
2

2009/5/7

Anniversary Concert  Daily Life

クリックすると元のサイズで表示します


日本・ポーランド国交樹立90周年の記念コンサートにお招きいただき、連休終日の昨日、東京・トッパンホールに出かけました。

私とポーランドを繋ぐものといったら友人のジョアナぐらいですが、今回はジョアナとは全く関係のない方面からのご招待でした。ちなみにジョアナは只今シカゴに滞在中で、今月末まで帰ってきません。

先月某日、夫の職場関係でとある式典が催され、その際に夫はポーランド駐日大使とフィリピン駐日大使をエスコートする役を仰せつかったのだそうです。あの人のことだからきっと愛嬌を振りまいたんじゃないかと思いますが、その翌日にポーランド大使の侍官(エイド)の方からお礼のメールが届いて、今回の記念コンサートのご招待に与りました。

演目は:

T. Takemitsu: Nostalgie "In Memory of Andrei Tarkovsky"
(武満徹:ノスタルジア -アンドレイ・タルコフスキーの追憶に-)

F. Chopin: Piano Concerto no.1, op.11
(ショパン:ピアノ協奏曲第一番ホ単調op.11)

-intermission-

F. Mendelssohn: Octet in E-flat major, op.20
(メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲 変ホ長調 作品20)

--------------

Sinfonia Varsovia
シンフォニア・ヴァルソヴィア

Jean Jacques Kantorow - conductor
ジャン=ジャック・カントロフ(指揮)
Michie Koyama - piano
小山実稚恵(ピアノ)
Jakub Haufa - violin
ヤクブ・ハウファ(ヴァイオリン)



え〜? Jさん、クラシック音楽なんて聴くの〜? という声が聞こえてきそうですが、まぁ、たしなむ程度には…。(ウソ!) クラシック・コンサートというとどうも子供の頃に母に無理やり連れて行かれた数々の演奏会を思い出します。中村紘子さんがピアノリサイタルでムソルグスキーの「展覧会の絵」を演奏されたとき、「あ、Hoyaメガネのコマーシャルだ」と思ったことをよく覚えています。はい、その程度にたしなみます。(笑)

たまには騒がしいロック・ミュージックから離れてクラシック音楽を聴くのも乙なもの。管弦楽はクラシックの中でも特に好きです。今回は国交樹立90周年記念ということで、ポーランドのヴァイオリニストが日本人作曲家の曲を、日本人ピアニストがポーランド作曲家の曲を、ポーランドが誇る管弦楽団と共に演奏するという趣向になっていました。

日本を代表する作曲家といえば武満徹というのは分かるし、シンフォニア・ヴァルソヴィアのコンサートマスターでもあるヤクブ・ハウファ氏の演奏も素晴らしいものだったのだと思いますが、率直なところ、私には曲自体が前衛的すぎてどう受け止めていいのかよく分かりませんでした。昨日は高円宮妃殿下がご出席されていて、私の隣の席にはSPの方がいらしたようですが、曲の途中で船を漕いでいましたよ。まぁ、気持ちもわからないことはありませんが、何事もなくてよかった。(笑)

一方、ショパンのほうは情緒的な旋律を奏でる小山実稚恵さんのピアノにストリングスの深い音が絡み合って、とても素晴らしい演奏でした。小山さんがとても楽しそうに演奏されていたのが印象的でした。

休憩の後、後半はシンフォニア・ヴァルソヴィアによるメンデルスゾーンの弦楽八重奏。八人が各々のパートを弾く八重奏はみんなそれぞれにとても忙しそう。時に優雅に時に軽快に奏でられる多彩な音が織り成す音楽は聴いていてとても心地よい気分になりました。バロック音楽はメロディが心に響きます。

インターミッションでは劇場内のカフェで招待客にポーランド大使からシャンパンが振舞われました。そこで今回ご招待してくださった侍官の方と奥様にお会いしてお礼を述べました。私たち以外にもう一組アメリカ人ご夫婦がいらして、アメリカ大使館にお勤めとの事でしたが、会話が進むにつれて意外な事実が発覚しました。数年前に今私たちが住むマンションに住まわれていたのだとか。ご近所さんだったとは。狭い世の中です。侍官の奥様はとても気さくな方で、英語を話すようになってまだ4年ほどとのことでしたが、とても流暢な英語を話され、私がジョアナの受け売りでポーランドの知識をほんの少し披露したら(^^;)とても喜んでくださいました。

プログラムが終了して、帰りがけにもう一度ご挨拶をして帰途に着きました。時にはこうしてクラシック音楽を楽しむのもいいものですね。

帰りに途中で夫と早めの夕食を済ませ、家に着いて時計を見ると、7時半。ひゃぁ〜、アメリカン・アイドルが半分終わっちゃった〜。

また今年も献身的にアメリカン・アイドルを見ているのですが(娘がいないのがちょっとつまらない)、今週はベスト3をかけての挑戦で、テーマは「ロックンロール」。これを待っていたんです、私は。以前からコンテスタントのひとり、アダム・ランバートはロバート・プラントの声に似ているなぁと思っていて、Led Zeppelinをやればいいのに(Immigrant Songを勝手に考えてました)…と思っていたら、昨日、やったそうじゃないですか!なのに見逃しました。がっかり。優勝候補の一人、ダニー・ゴーキーは今回ちょっとやっちゃった感じです。エアロスミスの「Dream on」はダメなんだってば。去年、マイケル・ジョンズが歌ってサイモンにさんざん物真似だ、カラオケだって言われていたじゃないですか。

ふうむ、すっかりロック・モードに切り替わってしまいました。(^^:)

1

2009/5/2

それぞれの休日  Running

世の中はゴールデン・ウィークの真っ最中ですが、例年通り我が家には全く関係のないことで、今週末もただの週末です。…が、我が家族には完全別行動でそれぞれにお楽しみが…。

まず夫は横浜ベイスターズの野球観戦。私は一緒に野球観戦には行かないので、どんなお楽しみなのか知りませんが。(^^;)

そして息子は、プロムです!!!
去年は娘の最後のプロムだったので、ホテルを予約して私もしっかり付いて行きましたが、男の子ははっきり言ってどうでもいいです。(^^;)
レンタルのタキシードを抱えてウキウキと出かけて行った息子は、情けないことにデートもいません。まぁ、来年が勝負ですからね。(笑)

プロムの後は友達のホテルの部屋に泊めてもらうことになっているので、もう何日も前から、「いい? プロムの後に夜遊びなんかに出かけて問題を起こしても、だれも警察に引き受けに行ってあげないんだからね。お父さんは野球の試合の後に酔っ払って帰ってくるし、私は8時には寝てますからね(今朝、4時起きだったもので^^;)。一晩留置所で過ごしなさい」と言い聞かせておきました。ヒドイ親です。果たしてこの脅しは効くかどうか…。私が息子と同じ立場にいても、こんな野放し状態での誘惑に勝てるかどうかは自信がないけれど、とにかく明日、何事もなく無事に帰ってきますように。(^^;)

さて私は今朝、5kmレースを走ってきました。
いつもの場所での5kmレースでしたが、今回は坂なしコース。Hooray!
昼間の最高気温が上がってきたからなのか、レース開始時間は朝7時でした。なので4時起き。

まだ5月になったばかりだというのに毎日のランニングのせいで私はすっかり日焼けしてしまっていて、ヒジョーに焦っています。そこで、今日は気温が20度近くもあったのに長袖のシャツに手袋までして、顔には日焼け止めを塗りたくって出ました。暑くて苦しかった〜。日焼けしないことを取るか、走り心地を取るか、悩みます。

スタートと共に先頭集団は猛スピードで駆け出して行きました。私はいつもは後ろのほうからのスタートなので、先頭の人たちのスタートを間近で見ることはないのだけれど、今日は真ん中あたりからスタートしたので、先頭集団のスピードに圧倒されました。シカゴマラソンで15位だった(Wow!)という人が率いる先頭集団のスピードは、むむむ、私のインターバル(定短距離を全力で走ることを繰り返す練習)よりずっと速いです。あれで5kmもつの?すごいなぁ。

私はというと、前回もそうでしたが、前の集団と後ろの集団の間にぽっかりと空いた隙間でたった一人で走っているような状態がずっと続いていました。追い越されることはなかったけれど、追い越したのも2,3人。これじゃ、毎日のランニングと大して変わりません。それでも前回の5kmレースより20秒ほど早くゴールできました。坂がなかっただけかもしれないけど。(^^;)

最近少しモチベーションが落ちていたので、これを機にまた頑張れそうな気がしてきました。来週ももうひとつ5kmがあるので、先頭集団ほどは無理でも、もう少しアグレッシブに行こうと思います。

今週末はニュー・ジャージーにいる娘にもお楽しみがあるそうです。
「Bamboozle」というミュージック・フェスがあって、従兄(夫の甥)が関係者なので、オール・アクセス・パスを出してもらえるんだとか。先日、娘にメッセンジャーで「おーい」と呼びかけたら、「今ダメ。このPaper(レポート)仕上げないとBamboozleに行かれなくなるから」と拒絶されました。

そこでBamboozleのホームページを見てみると、へぇ〜、No Doubtがヘッドライナーなんだ。初期のNo Doubtは結構好きでした。グウェン・ステファニ、かっこよかったですよね、あの頃。お腹割れてて。 今じゃ、「原宿」プロモーターになっちゃいましたけど。(笑) 夫のGavin Rossdaleの名前が小さくて、差があるなぁ。

私が見たいのは「Third Eye Blind」だけ…かな。
知らないバンド名ばっかり。トシですかねぇ。(^^;)

2

2009/4/29

Wonderful Tonight - Pattie Boyd  Books

何ヶ月も前から気になっている本がありました。書店の片隅に置かれたその本の表紙には、まるでバービー人形のようなかわいい女性が写っていて、タイトルの下に「George Harrison, Eric Clapton, and Me」というサブタイトルが付いています。暴露本のような雰囲気を漂わせるこの本を見るたびに、読んでみたい衝動にかられつつも、買って読むほどの本だろうかという懸念もあり、買うのを躊躇していました。先日、図書館に本を返却に行った時に、ふと思い立ってこの本を検索してみたら在庫がありました。そこで迷わずチェックアウトしました。

私はビートルズ世代でもエリック・クラプトン世代でもないので、このパティ・ボイドという女性のことを全く知りませんでしたが、かつてMrs.(ジョージ)ハリソンであり、Mrs.(エリック)クラプトンでもあったという数奇な人生を歩んできた人です。

「Wonderful Tonight」はそのパティ・ボイドの、ケニアで過ごした少女時代、イギリスでの寄宿学校生活、モデル時代、ジョージ・ハリソンとの出会い、結婚、別れ、エリック・クラプトン、彼女を取り巻く友人たち、再出発などを年代順に記した自叙伝です。(邦題は「ワンダフル・トゥデイ」というそうですが、どうして?「Wonderful Tonight」はクラプトンの曲のタイトルなのに…)

彼女はモデルとして駆け出しの頃にビートルズの映画「A Hard Day's Night」に女優として抜擢され、そのセットでジョージ・ハリソンに出会い、後に結婚することになります。ところが、ビートルズのマネージャーとしてメンバーの私生活まで全て面倒を見ていたブライアン・エプスタインの死後、ビートルズは父親を失った子供たちのように統制がきかなくなり、それぞれに分岐していき、ジョージ・ハリソンはインド哲学やハレ・クリシュナに傾倒し、瞑想に耽ったり、クリシュナのように女性をまわりに侍らせたいと考えるようになります。ジョージの女性関係が悪化しても、パティは結婚生活を維持しようと努力しますが、そこに現れたのがジョージ・ハリソンの親友だったエリック・クラプトン。彼は熱烈な手紙をパティに送り、まだパティがジョージ・ハリソンと結婚しているにもかかわらず、あの「Layla」(パティへの叶わぬ想いを歌った曲)を書いたり、挙句の果てにはジョージに向かって公然と「I have to tell you, man, that I'm in love with your wife」と言ったこともありました。ジョージ・ハリソンとの結婚生活に翳りがさしていたところに、エリック・クラプトンの強引な誘惑が重なり、パティはジョージ・ハリソンの元を去る決心をします。 

ところがエリック・クラプトンとの幸せも長くは続きません。今までの熱烈さが嘘のように彼は変貌し、アルコール依存とドラッグに浸る日々を過ごします。パティはアルコール依存症家族の会などに出席してエリックをサポートする努力をしますが、彼はリハブから出てきてもちょっとしたきっかけでまたアルコールに手を出してしまいます。そのころパティは子供を産みたいと不妊治療を受けていましたが、結果は思わしくなく、40歳を過ぎて諦めかけていたときに、エリック・クラプトンの火遊びから、他の女性に彼の子供が生まれてしまいました。(後に事故で亡くなり、エリック・クラプトンがその悲しみの果てに作曲したのが「Tears in Heaven」) 彼は息子の誕生を喜び、パティにも一緒に喜んで欲しかったのだけれど、彼女の心の痛みや悲しみを解かろうとはしませんでした。そんなことからも二人の関係は破局へと向かっていきます。

彼女の私生活やジョージ・ハリソン、エリック・クラプトンとの複雑な恋愛関係も確かに興味深いのだけれど、それ以上に面白いのはビートルズの他のメンバーや彼女を取り巻く広大な交友関係(主にミュージシャン)の裏話。パーティの翌朝にミック・ジャガーが腕を洗剤だらけにしてお皿を洗っていたとか、ビートルズがフィリピンでマルコス大統領の招待を断って、空港まで行けないように嫌がらせをされたとか…。60年代、70年代は退廃的な時代だったのだなぁと絶句するような話もいろいろと書かれています。例えばジョージの浮気相手はリンゴ・スターの奥さんやロン・ウッド(ローリング・ストーンズの)奥さんだったり…。(^^;)

最近のエリック・クラプトンはイメージもよく、この本に書かれているような「ダメ男」だったとはついぞ知りませんでしたが(^^;)、まったく、男衆は誰も彼も、だらしなさ過ぎです。

ロックスター(それも二人も)の妻であった人というと、外見も性格も派手な女性をなんとなく想像してしまいますが(独断です)、この本から伺われるパティ・ボイドは真っ直ぐで自分に正直な人のように思います。紆余曲折を経て今に至り、ようやく自力で生られるようになった自分を誇らしく思うというパティ・ボイドの語り口からは強さを感じます。

ビートルズの曲もエリック・クラプトンの曲も知っているものは数多くあるけれど、その音楽の背景にこういう歴史があったことを初めて知りました。ジョージ・ハリソンはすでにこの世を去り、この本に登場する多くの人々も他界しています。ひとつの時代の終わりを思い、かすかな淋しさを感じました。

クリックすると元のサイズで表示します
3

2009/4/24

イカと大学生  Daily Life

しばらく前に娘に食料品を詰めたケアパッケージを送ったら、レトルトのごはんが美味しかったと返信がありました。何かの拍子に夫に「ごはんが美味しかったんだって」と告げると、夫はその次の週末に近所のスーパーに出かけていき、娘に送る食料品をごっそりと買い込んで来ました。前回のケアパッケージは私が送ったものだったので、夫も娘を喜ばせたかったのだと思います。

ダイニング・テーブルの上に買ってきたものをずらりと並べて、郵送する箱に詰めていたので、何を買ってきたのかな?と覗きに行くと、ごはんはもちろん、お菓子やインスタント食品などが山のように積み上げられていました。「わぁ、こんなにたくさん? きっと喜ぶね」と言いながら、山を崩して物色していると、ん?ス、スルメ? はい、スルメがありました。私はハッとして、「イカはダメ、絶対、ダメ」とスルメを取り上げました。

夫は怪訝な表情で「どうして?」と訊きます。

その昔、私が大学時代に寮に住んでいた頃、やはり母がケアパッケージを送ってくれました。ある時、その中になぜかサキイカが入っていて、私は封を開けてひとつふたつ口にした後、それをそのまま机の上に置いて、友人の部屋に遊びに行きました。

当時、寮の部屋のドアの外側(廊下側)にはルームメイトがホワイトボードを取り付けていて、お互いに出かけるときは「どこどこに行っている」「何時に戻ってくる」と書き込む習慣になっていました。すると、その日、友人の部屋に私のルームメイトから私宛に電話がかかってきて(共通の友人だったので)、「Jの机の上になにかすご〜くクサイものがあるんだけど、これどうにかならないかなぁ」と、とても申し訳なさそうに言われました。できればそんなことは言いたくなかったのだけれど、もうどうにも我慢できなくて…という感じでした。(笑) ニオイの元は、そう、サキイカです。私は慌てて部屋に戻りましたが、あの頃ジップロックの袋なんて常備していなかったと思うので、サキイカはどうしたのかなぁ。覚えてません。とにかくアメリカの大学の寮ではイカはダメなのです。それに、娘はまだ「スルメで一杯」しちゃいけない年齢ですから。(笑)

そんなわけでスルメは我が家に取り残されましたが、私も最近はアルコールをすっかり飲まなくなってしまったので、「スルメで一杯」となるはずもなく、スルメを買ってきた当人は魚嫌いでスルメなんて食べられません。しばらく戸棚の中にしまわれたままになっていましたが、そういえば昔、母がスルメイカで松前漬けを作っていたことを思い出しました。ちょうど大根も人参も昆布もあったので調味料を調べて(酒、みりん、しょうゆ)早速作ってみました。本当は数の子を入れるそうですが、そうすると日持ちしなくなるので、入れませんでした。

2,3日漬け込んでから味見をしてみたら、昆布のダシが利いてなかなか美味しくできていました。ごはん何杯でもいけちゃいそう。

それにしても、我が母といい、夫といい、「大学生にはイカを送ろう」という不文律でもあるんでしょうか。どうしてイカなの?(笑)


クリックすると元のサイズで表示します
1



Powered by teacup.ブログ “AutoPage”