2011/3/17

横峠古道ウオーキング 山家城下町絵図複製・披露 盛大に開催  綾部の文化財

山家歴史の会会長:有道大作氏より投稿いただきました。

2011年3月6日(日)140名の参加を得て、JR梅迫駅(舞鶴線)から新たに整備された横峠古道を経てJR山家駅(山陰本線)まで13Kmの横峠古道復旧記念ウオークが盛大に行われた。
また複製された山家城下町絵図の展示も行われ、それぞれの場所において横峠および城下町絵図の解説が綾部史談会副会長:川端二二三郎先生により行われた。

地元の山家・安国寺と立命館大学の学生たち、里山ねっと・あやべが協力して2010年9月 横峠古道を整備しました。梅迫から横峠を経て山家まで歴史を感じながらの開通式です。

写真撮影:東山町・田中英男氏 他
説明文・資料:山家歴史の会会長:有道大作氏 他
編集:綾部の文化財を守る会 HP委員会
監修:綾部史談会副会長:川端二二三郎氏

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出発点のJR梅迫駅前(舞鶴線)東八田公民館前にて参加者受付
予想を遥かに超える140名の参加があった
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歓迎挨拶の山家歴史写真の会:有道大作会長と綾部史談会:川端二二三郎副会長(手前)
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参加者を前に概要説明中の綾部史談会副会長:川端二二三郎先生
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京都から参加した立命館大学の学生たち
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横峠古道 安国寺側入り口手前を行く参加者の列
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枯葉を踏みしめ横峠古道を登る一行
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同上
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横峠古道の標識前で集合
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横峠古道の標識 明治20年以前 平成22年9月整備
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峠茶屋 紀甲堂跡で140名の集合写真
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川端講師の解説とともに山家城下町を歩く参加者
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山家城下町の京街道と綾部街道の分岐点に建っていた道標(複製)
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準備された山家城下町絵図展示会場:東山町公民館前
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複製された山家城下町絵図を解説される綾部史談会副会長:川端二二三郎先生
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川端二二三郎先生より「山家城下町絵図」の解説を聞く参加者
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終着点のJR山家駅(山陰本線)にたどりついた参加者
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今日の横峠ウオーキングを終了して、山家城下町絵図展示会場で記念写真に収まる関係者一同

参考資料1:山家城下町絵図の原図と複製図の展示

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正徳3年(1713)山家城下町絵図
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明和9年(1772)山家城下町絵図
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明治3年の原図
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明治3年(1870)山家城下町絵図 復元
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明治6年の原図
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明治6年(1873)山家城下町絵図 復元
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参考資料2:横峠古道の整備と山家城下町絵図の複製作業

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横峠古道を整備中の山家歴史の会のみなさん
鉄パイプを使い上に伸びる長い坂道に階段を作っておられる様子
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整備が完成した横峠古道の階段に腰かけ、記念撮影の山家歴史の会会員

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明和9年(1772)山家状絵図を解読中の綾部史談会と山家歴史の会の皆様 東山町公民館にて
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同上
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絵図製作の様子を取材中のNHK京都放送局記者:岩岡廣之氏
横峠古道ウオーキング当日もJR梅迫駅前集合から取材していただいた。
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明和9年(1772)山家城下町絵図を解読中の綾部史談会と山家歴史の会の皆様

参考資料3:横峠古道復旧記念ウオークのご案内

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横峠古道復旧記念ウオーク
足利尊氏も参勤交代の田辺候も庶民も越えた京街道、梅迫の宿場から横峠古道を完歩して山家の宿場まで:13Km

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梅迫の宿から横峠古道を越えて山家城下へ 見どころ
梅迫の宿・町屋の土戸、梅迫・中町たて道(陣屋跡、道標)、安国寺、横道古道、
覚応寺(谷家墓標)、山家城下町(火除け地、町屋、道標、正徳3年、明治3、6年の山家城下町絵図)

2011年3月6日(日)雨天予備日3月13日(日)
案内・解説:川端二二三郎先生(綾部史談会副会長)
持物:弁当、お茶持参
時間:8:30梅迫駅集合 15:00山家駅解散
距離:梅迫駅から山家駅まで13Km

行程:梅迫駅(挨拶、紹介、説明、トイレ)8:30−8:45→梅迫の宿(中町たて道)(説明)8:55−9:15→
安国寺(説明、トイレ)9:26−9:45→R27足利尊氏銅像(トイレ)9:55−10:00→横峠登口10:05→
横峠頂上(休憩)11:00→旭町公民館(昼食、トイレ)12:00−13:00→覚応寺(説明)13:14−13:30→
山家城下町(説明、トイレ)14:00−14:50→JR山家駅(解散、トイレ)15:05

梅迫駅到着時刻      山家駅発射時刻
舞鶴より 8:28 9:23   京都方面     15:13 16:14
綾部より 8:14 9:03   綾部・福知山方面 15:43 16:43

参考資料4:横峠に関する取り組み
横峠に関する取り組み 山家歴史の会

1.山家歴史の会
 平成17年4月27日(2005)に発足した「東山今昔写真の会」から始まる「山家今昔写真の会」は、会の目的である第1〜3巻の「山家今昔写真集」を刊行してめでたく解散(2010.8.3)した。
 その中で、山家の歴史に関する「山家再発見」の課題が多くあり、これを取り上げて「山家歴史の会」が発足した。発足:平成22 (2010)年8月24日、会員数:現在40名

2.横峠
 阪鶴道路(現在の国道27号線で梅迫一味方一鷹栖一広瀬を通過)建設が具体化すると横峠ルート(梅迫一山家一由良川の渡し舟[山家横渡し]一上原一和知)が廃れることを予想して、地元住民は横峠道路の改修を強く要望した。その結果、横峠は明治20年に改修された。
 自動車が普及するまでの徒歩の時代には多くの人達がこの横峠を通行していた。しかし、昭和28(1953)年の大水害で土橋の流失や道路の損壊も発生したと考えられ、また車の普及も加速して、昭和30 (1955)年頃から通行者が絶えた。人通りのなくなった峠道は、その後の松食い虫の猛威による松ノ木の倒木や杉の木の倒木、刈払いされないままの草木で通行困難な状態に放置されていた。
 ここでは、明治20年改修後の道路を[新道]、明治20年以前の道路を古道(旧道)と表現している。

2008.3.30  旭町・岩崎孝氏の案内で東山町有志9名が横峠越え。
2009.6.〜  綾部市からの資材支給と府・支援事業交付金を得て、山家今昔写真の会が旭町・山口広志氏を主体に倒木伐採、刈払い整備作業を開始。横峠解説書制作。
  12. 6  歴史街道横峠越え開催、綾部市の協力も得て110名参加。
2010. 8.24  山家歴史の会発足(山家今昔写真の会解散)綾部市の協力と府(支援事業交付金を得て、探索した古道の整備に着手。山家側は旭町・山口広志氏が整備。
   9.3、4 頂上より安国寺側を、里山ねっと、立命館大学生、安国寺有志とともに整備。
   11. 9  安国寺側、刈払いと土留め工事。古道全線整備完成。
2011. 2.11  昨年から製作した[横峠古道入り口]標柱2木と古道案内板6木を設置。

参考資料5:山家城下町絵図 複製制作の取り組み
山家城下町絵図複製制作の取り組み 山家歴史の会
1.山家歴史の会
 平成17年4月27日(2005)に発足した「東山今昔写真の会」から始まる「山家今昔写真の会」は、会の目的である第1〜3巻の「山家今昔写真集」を刊行してめでたく解散(2010.8.3)した。
 その中で、山家の歴史に関する「山家再発見」の課題が多くあり、これを取り上げて「山家歴史の会」が発足した。
 発足:平成22年8、月24日(2010)、会員数:現在40名

2.現存の山家城下町絵図
現存の山家城下町絵図は、
@正徳3 (1713)年制作(大きさ約1、400×2、000)東山町所有
 平成20年12月29目に約20枚の和紙に描かれていたものを1枚にまとめ裏打ち表具。
A正徳3 (1713)年→明和9 (1772)年に複製?(大きさ約1、400×2、000)山家今昔写真の会→山家歴史の会所有
 平成21年2月12目東山町・菅井昭光氏より寄贈、裏打ち表具。
B明治3(1870)年作成白黒コピー2枚(原図は焼失)東山町・奥野澄夫氏所有
B原図の青焼き・模写 睦寄町・楳林誠雄氏(綾部市教育委員会)綾部資料館所有
B原図の模写 昭和47年 久後和夫氏 紫水ケ丘・久後生歩氏所有
C明治6 (1873)年作成 白黒コピー2枚(原図は焼失)東山町・奥野澄夫氏所有
C原図の模写 昭和47年 久後和夫氏 紫水ケ丘・久後生歩氏所有
が現存している。

3.山家城下町絵図の複製
 絵図の文字は、くずし字で表示、→楷書で表記、誰もが読み取れるようにする。
 A明和9年絵図に添付された多くの付箋を解読・解析する。
 正徳3年、明治3年、6年の絵図3点を永年保存できる和紙(1、400 × 2、000)で複製を制作する。
 上記3点の絵図は、系統立てて解析、解説する。
 この取り組みは、平成22年8月下旬からほぼ2回/月(毎回15〜20名)、綾部史談会(中心:川端二三三郎氏)の皆様方の多大なご支援を得て行なっている。
 京都府地域力再生プロジェクト支援事業や東山町自治会の支援も得ている。
 明治3年、6年の絵図が復元することができたのは、奥野澄夫氏、久後和夫氏、楳林誠雄氏のお陰である。2月下旬に完成した。

参考資料6:横峠資料
横峠史料  平成21.1 2. 6
A峠のお堂と茶屋
☆貴光堂 (「安国寺区史」 昭和6年12月編纂 渡辺信蔵写之)
 貴光堂ノ建立タルヤ年月不詳ナルモ梅迫領主貴光院殿ノ篤志ニョリ旅人ノ雨雪ノ避難所及休息所トシテ京街道横峠頂上二−棟ヲ建設セラレタルモノナリ 其後右堂大破シ黙視スルニ忍ビス有志者相諮り金員材木ノ寄附ヲ纏メテ明治五年再建セリ 而シテ文化九年八月安国寺村ノ儀助ナル者右堂前二茶店ヲ開キ渡世セリ 然ルトコロ時ハ移リテ鉄道ノ開通トナリ京街道ノ往来ハ途絶へ貴光堂及儀助茶屋ハ淋レテ何日トナク跡形ナキニ至レリ 再建当時ノ寄進帳及儀助茶屋開店ノ願方左ノ如シ

横峠休息所寄進帳(渡辺信蔵氏所蔵)
            口 上
一 旧来之儀梅迫領主貴光院志施尓旅通す人に雨雪諸寒之労を除かせんとて其為被成建立候處 此度御変革ノ折柄及大破候得共再建出来相成不申候ニ付左之名前之者申立従前の侭永続させ度旨相談仕候處入費尽力之難及就而は御志之 各様多少二不拘御足力之程只管御願中上候 以上  壬申十一月(明治5年)
  施主 太兵衛 文右衛門 善五郎 利兵衛 庄二郎 利右衛門 佐右衛門 善九郎
  世話人 庄兵衛
  寄附人ハ上杉、梅迫、安国寺、中山 多数アリ

乍恐奉願上候口上 渡辺信蔵氏所蔵
一 私者数年出商売仕候処次第二年罷寄右之出商売致兼然ル処渡世難渋無致方依之横峠堂之前二而 風雨為凌之少々之家之貌仕昼之内我壱人罷出茶 菓子わらじ売諸人之足伏志請渡世仕度存候間何卒御上之御慈悲以御免被仰付可被下候ハヽ難有仕合奉存候 以上         文政九年(1826) 戌八月  安国寺村
   願主 儀助
   年寄 四郎右衛門
   庄屋 太郎右衛門
  御役所様

☆輝光堂(「郷土誌東八田」昭和63年刊)
 延宝六年(1678)時の領主谷帯刀衛将公御息女輝光院殿の御追善の篤志により旅人の雨風の避難並びに休息所として一棟の堂を建設せられたものである。修復料として大豆一斗五升毎年寄付した。・・・峠の並木の松は元禄三年(1690) 初めて植えた。・・・明治の中頃まで存続通行人も多かったが、二十年ついに堂は壊してしまった。

B.中腹の石碑・道標
☆石碑(『あやべ市民新聞』 平成4. 5.14付)
  「珍しい310年前の尼僧の石塔か」出土記事抄 平成4年無線中継所(鉄塔)の建設時、取り付け道路の排水エ事にともない石塔・石柱(8個 縁石か)が出土
   天和二壬戌年 為頓證菩提也 縦110 横40
   松雲院 寂室妙光禅定尼 霊位 五月十八日 施主 敬白

☆道標(北側九合目 志賀方面分岐点)
   享和四年正月
   右 梅迫 田辺          縦
   左 志加 物遍          横
   施主 石田 原田文右衛門

C峠道の現況
☆横峠道(『山家村誌』大正14年刊)
 維新以前より我山家の地は京街道の要地に当れり。・ ・ ・維新以後も久しく此の経路をとりしが、府費を以て主要道路を改修せらるゝに当り此の不便極まる路線を選ばず、即ち京都舞鶴街道として由良川右岸を船井郡より本村戸奈瀬に入り西に、然して町を通過せずして西八田村に出ずるを得策なりとして実施されんとするが如し。斯くては山家の町として忍ぶべからざるを以て、町区は大なる犠牲を払ひだる結果漸く横峠道を開墾さるゝ事となれり(明治二十年)是本村に於ける府道開墾の始めとす。然れども不便にして時代の進歩と相容れず、且鉄迫開墾其他の関係より自然通行者も減じ、府は遂に廃道となせしより今は荒廃して山道同様の姿となれり。川端二三三郎

参考記事(山家今昔写真の会の歴史ウオーキング行事)
歴史街道浪漫「横峠越え」に参加
戦国時代の遠見番所・釈杖ケ岳3




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