2010/12/5

晩秋の京都の文化財を訪ねて!建仁寺の3.  文化財研修記

平成13年秋の文化財史跡学習会で「臨済宗東福寺派大本山東福寺の(通天紅葉)と呼ばれる素晴らしい紅葉と文化財・京都国立博物館・三十三間堂」を見学しました。その理由は全国安国寺の筆頭の綾部の安国寺がこの東福寺派であったのも一つの理由でした。その後、平成15年の第36回春の研修旅行で綾部安国寺で生まれた足利尊氏の関係から「京都・足利尊氏ゆかりの寺院を訪ねて」と称し臨済宗・京都七禅と主な由緒寺院を見学して来ました。相国寺とその山外塔頭寺院の銀閣寺、等持院(足利尊氏の墓がある)、金閣寺、平成18年には臨済宗建仁寺派のねね寺「創建400年祭の高台寺と圓徳院」、平成20年には「妙心寺派本山妙心寺と鹿王院」、21年には「大徳寺派大本山大徳寺」、平成22年には京都五山の上「南禅寺」、そして平成23年度秋の計画のため、村上会長、泉副会長、鍋師HP委員長と小生4名が下調べに行きました。小生は何回か見学していますが、予定の建仁寺、六波羅蜜寺共貸切バスの駐車場が無いので団体での建学は大変難しい所です。建仁寺派大本山・建仁寺は我国に臨済宗を伝えた明庵栄西の開創した京都最古の禅寺です。栄西(1141〜1215)備中吉備津宮の神職の家に生まれ、14歳で」比叡山に登り葉上坊と号し天台密教の奥義を極めて葉上流の一派を起こした。28歳で入宋、禅に関心を深めた。帰国後密教の研究を続け、47歳の時再び入宋、虚庵懐敞(こあんえじょう)に臨済宗を学び、4年後帰国し北九州に禅を広めた。後、入洛したが比叡山の圧迫を受け、九州に下り『興禅護国論』を著し、禅を持って天台の鎮護国家論をもりたてようとした。次いで鎌倉幕府に招かれ、北条政子建立の万寿寺の長老となり、建仁2年(1202)将軍頼家の援助で五条以北、鴨川以東400メートル四方の地を寄進され3年後、念願の寺を建立した。之が建仁寺土御門天王の勅願寺として、時の年号をとって建仁寺の号を与えた。延暦寺との対立を避け、真言・天台・禅三宗の道場とした。又、宋より持ち帰った日本で初めての「茶」を広め「喫茶養生記」を三代将軍実朝に献上し、養生と保健の効用を説いた。

1.大雄苑の西側の庭園の一部
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2.上記の端から庭へ降りて、建学する、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)首塚の案内板
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3.安国寺恵瓊(あんこくじえけい)首塚
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4.田村月樵遺愛の大硯の案内板
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5.田村月樵遺愛の大硯
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6.茶席「東陽坊(とうようぼう)」草庵式二帖台目席。天正十五年(1587)に豊臣秀吉が北野大茶会で利休の高弟・真如堂東陽坊長盛が担当した副席と言われています!
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7.潮音庭の一部
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8.同上 本堂を見る
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9.塔頭寺院の禅居庵の境内にある摩利支天堂
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10.建仁寺の一番南側にある国重要文化財の「勅使門」銅板葺切妻造の四脚門で柱や扉に戦乱の矢傷があるところから「矢立門」とも呼ばれ、平重盛の六波羅邸の門、あるいは平敦盛の館門を移建したものといわれています。
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11.三門「望闕楼(ぼうけつろう)」御所を望むという意味で名付けられた。
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12.京都最古の禅寺「建仁寺の開山堂」非公開です。
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13.栄西禅師の茶碑
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次回は栄西禅師所縁の「恵美須神社」を訪ねます。

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