2010/6/19

初夏の京都・洛北・洛中の社寺を訪ねて!その2.曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)  文化財研修記

前回の鷺森神社(さぎのもりじんじゃ)から御幸橋(みゆきばし)を渡り、初夏のカエデの緑の参道を500メートルク位登っていくと「曼殊院(まんしゅいん)」門跡(もんぜき)天台宗」の正面の勅使門にいたる。高い門,長い白壁塀と石垣が寺格を示している。江戸幕府は門跡寺院は3通り区別して。皇室の二・三男等が住職となる寺は宮門跡、摂家が住職となる摂家門跡、そして準門跡がある。この曼殊院は宮門責跡(みやもんぜき)である。延暦年間(782〜806)伝教大師・最澄が比叡山に一宇を設け,天慶年間(938〜947)是算(ぜさん)国師が西塔北谷に移して東尾坊(とおのぼう)と号したのに始まり、天仁年間(1108〜10平安時代後期)忠尋(ちゅうじん)座主が東尾坊を改め曼殊院と称した。現在の地に移ったのは明暦二年(1656)桂宮智仁親王の御二男(後水尾天皇の猶子=養子)良尚(りょうしょう)法親王(ほうしんのう)の時である。親王が出家され、天皇に認められると法親王となる。親王は当院を御所の北から修学院離宮に近い現在の地に移し、造営に苦心された。国名勝書院庭園、桂離宮によく似た書院には国宝の「絹本著色不動明王」その体が黄色い事から黄不動と呼ばれ、高野山の赤不動、青蓮院の青不動と共に三不動と呼ばれている。その国宝の掛軸は平安時代後期の作で縦168.2センチ、横80.3センチに及ぶ大作が見れます。そのほか国宝の「古今和歌集(色紙・曼殊院本)も見れますが撮影は禁止です。

1.曼殊院門跡への登り参道、今は緑ですが、秋の紅葉は素晴らしいものです。
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2.6月の勅使門(江戸時代初期ののもので素晴らしい渦や唐草の彫刻が施されている)
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3.紅葉時の勅使門
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4.勅使門から北門への石垣・見事な苔の土手、高い白壁塀
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5.北門の入り口(拝観料600円)
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6.内庭
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7.国名勝指定の書院庭園その1.
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8.同上 その2.
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9.同上 その3.
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10.同上 その4.
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11.同上 その5.
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