2010/6/16

平城遷都1300年祭を見る。その5.平城京跡その3.(最終回)  文化財研修記

延暦3年(784)に桓武天皇が山背国(やましろのくに)長岡京市に遷都するまで7代70年余にわたり都として栄えた平城京は、東西5.9キロメートル、南北約4.8キロメートルに及ぶ大都城で,唐の長安を模し,奈良盆地を南北に貫通する古代の三本の幹線道路を利用して都城の計画がなされており、うち下ッ道(しもつみち)をメインストリートの朱雀大路「(すじゃくおおじ)二条大路南の部分は部分は国史跡」とした。平城宮跡(国特別史跡)天皇は北の大極殿の玉座から南を見て、朱雀大路の左手側を左京、右手側を右京と呼ばれた。更に東の部分に外京が設けられた。京内は東西に9条、南北には左右に各4坊の大路が設けられ碁盤の目のように区画された。平城宮は東西1.3キロメートル、南北約1キロメートルである。その様子は今の京都市(平安京)がよりわかりやすい。この平城京の南はずーと開けており、そこにはこの平城京よりも大きな藤原京跡がある。大和三山の1つ畝傍山(うねびやま)の南側である。小生トレッキングシューズで10ある年前畝傍山(標高198.1メートル)に登り又南側にある藤原宮跡を見て廻ったが田圃のあぜ道で滑って田圃に足を突っ込み、大変酷い思いをした記憶がある。今回を以って平城遷都1300年祭り終わりです。ありがとうございました。

1.平城京跡ガイドツァーッマップ(1時間30分コース)
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2.マップ上のNO.3.第一次朝堂院跡を見る。(朝堂院とは役人が整列する場所であり、執務のほか、様々な儀式に使われていました。奈良時代にはここに4つの建物がありました。)
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3.同上NO3朝堂院跡へ
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4.同上・朝堂院跡
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5.当時の文官はので木簡に書き、削って再利用さましたで「刀筆の史(とうひつのり)」と呼ばれていました。
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6.巨大な「第一次大極殿」です。ここでは天皇が執務や儀式を行った場所です。2001年から工事に着手し、710年の遷都から丁度1300年後の2010年に復元が完成しました。
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7.南門と南門広場(平城遷都1300年祭に大極殿の南門前に整備された広場です)
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8.南の朱雀門方面を見る、それからはるか遠方に藤原京がある。
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9.西は生駒連峰
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10.第一次大極殿の裏側からの入口
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11.大極殿内の玉座(天子は南面す!天子=天皇の左手側が左京、右手側が右京となります)
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12.巨大なし尾(しび)室町時代の城には「鯱(しゃち)例は名古屋城の金の鯱」
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13.屋根の軒瓦
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14.大極殿に使われた直径70センチメートルの柱の霧の切り口(現在もうこのような巨大な柱は日本では入手不可のである)
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