2010/1/31

戦国時代の遠見番所・釈杖ケ岳3  綾部の文化財

当初の予定日が綾部市市長選挙公示日と重なったため2週間の延期となった。自宅を出たときはフロントガラスに雨滴がついたが西原に着くと雨は振っていなかった。それでも傘を持って山に上がる。55名の熱心な参加者が集まっておられた。

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登山口、集合場所の正光神社全景
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釈杖ケ岳・戦国時代の遠見番所は左(西)端
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挨拶される主催の山家今昔写真の会:有道大作会長
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今日の歴史解説者:川端二三三郎先生(綾部史談会副会長)
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地元西原町の役員から歓迎と説明
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出発前の正光神社での集合写真55名(4〜84才)
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落ち葉が厚く積もった狭い登山道の急坂を登る
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山腹の愛宕神社で一休み
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愛宕神社からの景観を楽しむ
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気持ちよい雑木林の尾根道を進む
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頂上手前に上り詰めた川端先生たち
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釈杖ケ岳からの西の展望を楽しむ
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釈杖ケ岳から眼下の西原町の写真を撮る人たち
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釈杖ケ岳から西に由良川流域に沿って開ける展望を楽しむ
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川端二三三郎先生(綾部史談会副会長)の釈杖ケ岳城、由良川流域に割拠する城と戦乱のお話し
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遠見番所(釈杖ケ岳城跡)での集合写真
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終わりのあいさつ

釈丈ケ嶽城
所在地・綾部市西原町 字名は釈丈ケ嶽 標高2 7 1m
コース・麓の正光神社の登山口から中腹の愛宕神社を経て尾根にとりつき、すこし西走すれば突端の山頂に着く。行程1Km、約40分。
   ・西方の共同墓地付近からの道もあります。
現 況・主郭18×10m 中央北寄りに秋葉神社の祠跡(基壇)
   ・帯郭(おびぐるわ)4〜7m幅の郭が主郭の北・西・南を囲む。段差約50cm
   ・三の郭 西方の尾根筋に3m幅の郭。段差約50cm
        小規模ではあるが、三段構えの砦跡であることが確認できます。
    西方の綾部・福知山盆地の眺望は抜群です。

参考文献
・丹波負笈録(天明年間−1780年代−の何鹿郡の地誌)
 西村氏子孫  西原村中地ト云所
先祖伊像豊後土佐三人兄弟アリ 古屋敷一町斗 四方堀 今ハ八間ノ長池
此内薮也 地頭入組ノ薮ナリ 古ヘハ東ト西ノ小谷限り一構二追々堀アリ
小谷 今ハ田地也 是§卸斟聡ま浦山L↓目差謳城iH辰 出張副題嘱
三人三軒ニ分テ百姓ト成子孫二十軒斗 紋ツルカタバミ ケンカタバミ
・西村家文書(綾部市史史料編 所収)
 天正5年(1577)の刑部大夫の知行宛行状および坪付

周辺の城郭
・添付の城郭分布図によって近隣の城郭の位置を確かめて下さい。
・鷹栖町で最近発見した山城
 秋葉山砦 約10×7m 郭 3段 尾根の東西を切り構築、中央に秋葉神社の祠がある。小規模な砦
 中腹の尾根       郭 1段
 猪才山山頂 20×20m 郭 2段 東北隅に関西電力鉄塔
 鷹栖山を中心とした城塞群の存在が予想されるが、全体像はまだ把握できていません。
 
綾部市域では戦国時代から近世にかけて大小合わせて70近くの城塞・城館の存在が知られています。ところが、山家地域ではこれまで甲ケ峯城と山家城の2つだけしか確認出来ていませんでした。城砦が少ないのは地域の中央を貫流する由良川とその南北に連なる山嶺など地形の然らしめるところと見られていましたが、実際に尾根を歩いてみると各所に砦らしきものが存在します。
 これらを丹念に踏破して城にまつわる武勇伝や哀話を聞き取り、近隣地域との繋がりについて考えてみるのも楽しいことです。(文責 川端二三三郎)
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70ケ所ある綾部市内城館分布図




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