2009/7/21

京都祗園祭のイベントと文化財その2.三井越後屋京本店記念庭園と弁慶石  文化財研修記

京都市中京区三条高倉の「京都文化会館の祇園祭ミュージアムコンサート」の念願の大阪府川西市教会のゴスペルを見・聞きしたので少し足を伸ばして「日本のシルクロードの終点・室町界隈」へぶらりと歩いて行くことにした。日本のシルクロードとは古代、中国金国の時代、満州方面あるいは現在の北朝鮮から船出すると自然に日本海の若狭・丹後半島に到着或いは漂流してくる。故に、海岸の現在の京都府京丹後市の網野町・丹後町辺りに到着、ここから中国の絹糸や絹布(当時日本では養蚕で絹が作られていなかった)が峰山町、加悦町(かやちょう)、綾部町「当時は漢部(あやべ)と云っていた」、北桑田郡・京北町から終着の室町へと交通路が出来ていた。故に、平城京や平安時代から綾部郷(あやべごう)近辺から都へと税金の租庸調(そようちょう)が送られていた。特に江戸時代には綾部から京都の室町へ丁稚奉公(でっちほうこう)に出る人も多くあった。現在でも綾部出身の方が多く住んでおり、綾部の少年サッカーチームと室町の少年サッカーチームの交流は50年近くになっている。さて今回は見学がまず不可能な「三井越後京本店記念庭園」のほんの一部と「弁慶石」を見てみよう。

1.室町通りの「老舗酒屋」の写真
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2.三井越後屋京本店記念庭園「江戸時代の三井高利(たかとし)通称:八郎兵衛、天保8年(1622)から元禄7年(1694)に生存し、三井家(後の三井財閥中興の人)の京都本店があった所、当時は間口8間、奥行き18間の広大な屋敷で呉服・両替商を商っていた。京都の店の税金は間口の広さでかけられたもので、それゆえ入口が狭く奥行きの深い「うなぎの寝床」と云われてきた。現在この庭園を見学できるのは、京都通百科事典事務局へ「京都通メンバーに登録」した上に特定の指定された日のみ見学が可能です。
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3.庭園の一部その1.
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4.庭園の一部その2.
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5.室町二条から御池通り方面(この室町通いには7月15日の祗園よい宵宮、16日宵宮、17日本祭では菊水鉾を先頭に8基の鉾が立ち並んでいた。
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6.室町御池通の近代ビル(OIKE KOTO BLDG)
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7.中京区弁慶石町(新京極通と寺町通の間)にかの有名な「弁慶石」があるのを思い出し、のこの捜し求めた。なんとビルの敷地の中に漸く見つけた。「弁慶石の駒札」要約は弁慶が生前大切にしていた石で、弁慶が奥州平泉で義経と共に亡くなり、高館にあったが、この石が三条京極に住んでいた弁慶の住所へ行きたいと「発声鳴動」したと言う。更に、付近の人々が熱病にかかり熱病が蔓延したので享徳三年(1454)に現在地へ安置した。
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8.ビルの屋敷内にある「弁慶石」高さ1メートル48センチ
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