2009/7/14

ぶらり城下町宮津を歩く!第10回浄土宗・一心山・見性寺「別名:蕪村寺」  文化財研修記

佛生寺を右手に出て30メートル、そして電柱の案内看板を左手に50メートル浄土宗・一心山・見性寺(けんしょうじ)の見事な朱塗り(大分剥げ落ちている)の山門に至る。この寺は別名「蕪村寺」と云い、名の如く与謝野蕪村が、この見性寺に宝暦四年(1754)、39歳の時来寺。約3年余り、この寺を足だまりとして、天橋立の周辺から加悦谷(かやだに)(加悦谷高等学校は世界合唱コンクールで有名)、そして北丹後地方へと出歩き、宝暦七年(1757)再び京都の人となった。この宮津時代三年余は、蕪村に大きな影響を与え画家無村として又俳諧(はいかい)の道としては、この見性寺では竹渓(ちっけい)、後ほど訪問する真照寺では鷺十(ろじゅう)、無縁寺では陸巴(りょうは)などと親交を結び励んだ。現在の見性寺には蕪村をしのぶものは無いが、当時の山門と後日建立された「句碑」のみが残っている。

1.江戸時代そのままの真性寺の山門(与謝野蕪村もここを潜った)
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2.山門前の「宮津市教育委員会の駒札」
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3.山門の両脇の「句額」その1.
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4.山門の「句額」その2.
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5.境内にある与謝野蕪村の「句碑」は河東碧悟桐(かわひがしへきごどう)書で「短夜や六里の松に更にたらず」と記されている。
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