2009/7/13

ぶらり城下町宮津を歩く!第8回大久保山城跡と桜山天満宮  綾部の文化財

和貴宮神社から西へ100余メートル、大久保山は標高30メートル余の小高い山だが下には「大久保城跡」宮津市教育委員会の駒札が立っている。折角だから登ってみようと上がりかけるとたかが30メートルだが大変きつかった。この古城は丹後守護職一色氏の有力家臣の小倉播磨守の城であったが、天正六年(1578)の明智光秀、細川幽斎・忠興父子の丹後・丹波攻めで滅亡した処である。頂上は桜山児童公園となっており、小倉播磨守を祀るちっぽけな神社があるのみでした。其処から道を下ると、左手下に「桜山天満宮」が見える。この天満宮は豊臣秀吉が身辺に守護神として持っていた「菅原道真公の像」を側室・愛妾の兄・京極高知(きょうごくたかとも)を身辺に用いて出世させる条件で、この愛妾・本名・ 龍子(気が強く見込みの無い若狭の武田氏から離婚した)をくどき落として愛妾としたこの「松の丸殿」の甥・高広に下げ渡した像が祀ってある。この愛妾・龍子にしても、糟糠の妻・ねねにも子供はできなかったの残念至極である。二人とも才色兼備でひとりでも子供があったら豊臣家は万全であったろうに!予断だが、長浜には「ねねの赤子の墓」がある。

1.大久保山城跡の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

2.大久保山城跡への登り道・鳥居が見える。
クリックすると元のサイズで表示します

3.山頂の広場は「桜山児童公園」で奥に一色一族と家臣を祀る小社
クリックすると元のサイズで表示します

4.山頂から桜山天満宮へ降りる道・左手の木々の間に天満宮がみえる
クリックすると元のサイズで表示します

5.豊臣秀吉が愛妾・近江佐々木源氏末裔の京極高知の娘・龍子(二の丸殿)のため甥の京極高広に贈った念持の「木造り神像菅原道真公」が祀られている天満宮
クリックすると元のサイズで表示します

6.横から撮影した桜山天満宮,右手の赤い屋根は摂社の稲荷社
クリックすると元のサイズで表示します



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ