2008/12/8

しばらく京都を旅しょう!第4回船岡山の北にある臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺を見る  文化財研修記

京都市北区紫野には臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺がある。この付近に1年間下宿していた事もあり大変懐かしい大寺院である。開山は宗峰妙超(しゅううほうみょうちょう)で大燈国師と呼ばれている。江戸時代の禅宗の中興の祖と呼ばれている白隠禅師の禅画には「大灯は大徳の開山、日本禅に法の劇しさを伝えた人」とし、蓑傘を背負った裸足の乞食坊主の絵を描き左側らから読む讃(さん)には「古人、刻、苦、光明、必、盛、大也,不信、看取、此老漢、爪を手なしに、久らやるなら、成程足なしで、参ろう」としている。大灯国師は関東で既に印可を受けていたが、大応国師が弟子を導く手段の厳しさを聞き、京都に登り、その室に参じ、大悟徹底する。その後、五条の橋の下の乞食群れに入って、二十年ものあいだ聖胎長養(仏法用語で悟りをより一層確実にするための修業)だれたという。

1.勅使門(桃山時代)
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2.山門(金毛閣とも呼ぶ、桃山時代、千利休が自分の木像をこの山門に掲げ、豊臣秀吉の怒りをかい、伏見の自宅で切腹した話で有名だ!)
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3.仏殿右側の巨大なイブキ(ビャクシンとも云う)(京都府指定天然記念物、現在の仏殿は寛文五年(1665)に再建されたものだから、その当時植えられたものと言われている>)
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4.仏殿を覆わんばかりのイブキ
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5.仏殿内の釈迦如来坐像(フラッシュが途どかない)
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6.法堂(国宝)
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7.三玄院「この塔頭寺院は天正17年(1589)石田三成・浅野幸長・森忠政が創建したもので、石田三成が三条河原で断罪された時、その首を此処の和尚が懐に抱えて持ち帰り埋葬したが、この三成の名が刻まれたのは明治になってからである。)
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8.次回からこの大徳寺の有名な塔頭寺院の1.大仙院、2.瑞峰院、3.竜源院、4、高桐院を掲載していきます。こうご期待!!



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