2008/11/21

福知山市豊富谷の文化財を訪ねて。その.7.最終回紅葉の福知山城を見る  綾部の文化財

京都府福知山市「元天田郡(あまだぐん)」には福知山城がある。最初の城主は3日天下足あyで知られた明知光秀が丹波攻略のために、亀岡市天恩郷(今の大本亀岡本部)についで築城して、京都北部の大河である由良川の洪水をを治めるため、通称明知堤(あけちつつみ)を作るなど福知山に対しては善政を敷いたが、一方綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)は、オバマ大統領で名を売った、小浜市から高田豊後守に命じ、抵抗する上林城や立て籠もる寺など総焼き討ちし、此処に上林本家滅亡。分家はそれ以前に上林の田茶種を持ち出し、宇治市に移住し徳川家康に使え、代々茶奉行となった。さて明知光秀滅亡後は杉原家次入部し、墓は第5回で紹介した長安寺にある。第8代目に近江の朽木谷出身の朽木氏が寛文9年(1669)に入部。それ以後12代まで支配し、明治にいたる。一時は廃城であったが福知山市や多くの市民の寄進により、平成20年ほほ完成。あと整備のみです。

1.太鼓橋から威容を誇る「天守閣」を望む
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2.二の丸の登城路にあった銅門の番所は今の天守閣のところに大正時代移されていた貴重な遺構である。
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3.石垣 天守台から本丸にかけての野面積(のずらずみ)の石垣は、穴太積(あのうずみ)と呼ばれる積み方で、約400年もの歳月に耐えている。沢山の五輪塔(墓石)や宝篋印塔(ほうきょういんとう、墓石)つかわれているのも特徴です。良く見て下さい。
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4.豊磐の井戸(とよいわのいど)本丸天守の横にある井戸は直径2.5メートル。50メートルの深さは日本一を誇ります。地下の水脈まで掘り下げており、今も清らかな水が流れています。
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5.五階の天守閣展望台から東を望むと綾部の国重要文化財」の円山古墳が良く見えます。瓦の先の丁度左上あたりです。円山古墳は下記をクリックして見て下さい。
古代では大変な威容を誇っていた古墳です。
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/maruyama/mkofun.htm
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