2008/5/19

親鸞聖人御誕生地・日野家菩提寺の国宝・法界寺  文化財研修記

京都市伏見区日野には国宝の本堂と国宝の阿弥陀如来坐像を持つ「法界寺(ほうかいじ)」がある。この寺は藤原氏の北家(藤原内麻呂)にあたる日野家の菩提寺で,弘仁十三年(822)、藤原家宗が慈覚大師円仁より贈られた伝教大師最澄自刻の薬師如来の小像をお祀りし、その後永承六年(1051)、日野資業が薬師如来像を造って、その小像を胎内仏として収めて薬師堂を建立して寺とした。当時は観音堂、五大堂等多くの堂宇があったが、今では本堂の「薬師堂(国重文)」と「阿弥陀堂(国宝)」を残すのみとなった。しかしながら、この阿弥陀堂は藤原時代の浄土宗の流行や、末法思想の影響で、極楽浄土の具象化として各地に建てられた典型的な阿弥陀堂建築の一つで宇治の平等院鳳凰堂と相前後して建立された。五間五面の桧皮葺、宝形造(方形造)りで、周囲一間の廂(ひさし)を付し、一見七間の重曹建築の感がある。屋根には宝珠露盤(ほうじゅろばん、屋根が四方から真ん中に集まる上に、露盤を置き丸い宝珠を取り付けている。)を置き屋根の勾配もゆるやかで外観は軽妙湿雅である、内部中央にはには一間四方内陣があり、その須弥壇上には宇治の鳳凰堂の阿弥陀如来坐像とそっくりで、阿弥陀定印(上品上生印)を結んだ見事な阿弥陀如来坐像(国宝)である。叉、向背の透彫りの飛天女や外壁には弥陀の坐像や四天柱には金剛界曼荼羅の初尊六十四像などが描かれている。天井は化粧屋根裏天井(天井を張らず屋根裏の垂木が見える、吹き抜け)で大変美しい。撮影禁止で残念であるが、国宝の外観のみも素晴らしい。薬師堂(国重文・秘仏)には内陣厨子の中に安置されている高さ80センチメートルの中には伝今教大師最澄作と伝えられた胎内仏が蔵められている。厨子両脇に祀られている十二神将像(国重文・秘仏)で見れれなかったのは残念だった。浄土真宗の開祖・親鸞聖人はこの法界寺を創った日野資業から四代目後、皇太后宮大進正正五位日野有範を父とし、吉光女(むしめ)母として、此処、法界寺でお生まれになり、母上に抱かれこの阿弥陀如来を初めてお参りなられたのです。叉「法界寺裸踊(京都市登録民俗無形文化財)」は有名で、元旦から十四日間本堂薬師堂において、五穀豊穣、万民快楽,所願成就を祈る修正法会が厳修され、結願日の一月十四日の夜、精進潔斎した少年、青壮年の信徒が二組に分かれて褌(ふんどし)一つの裸形になり、水垢離をとったのち、阿弥陀堂広縁にて裸体をもみ合い、すり合い、両手を頭上高く打ち合わせ「頂礼(ちょうらい)「頂礼}と連呼して踊りつつ祈願する荘重な祭典が繰り広げられます。更に、安藤先生の話ではこの寺・住職が云われた国宝の堂と国宝の仏像を持つのは、京都府では6ヶ寺のみとのとです。調べてみましたら、1.法界寺、2.宇治の平等院鳳凰堂と阿弥如来、3.上醍醐の醍醐寺の薬師堂と薬師如来、4.仁和寺の金堂と阿弥陀如来、5.三十三間堂、6.相楽郡の浄瑠璃寺本堂と阿弥陀如来でした。話の種にして下さい。

山門と正面に阿弥陀堂が見える。
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国宝・阿弥陀堂正面
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国宝・阿弥陀堂を東側から見る。全体が良く判る。
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国重文・薬師堂
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薬師堂正面(秘仏)で入口のみ。
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鐘楼(かなり古いものだが銘が読めない。)
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阿弥陀堂の裏側に高さ1.5メートル位の「宝筐印塔(ほうきょういんとう)」がある
この形では鎌倉時代後期作か!!
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