2008/5/18

勧修寺氷池園と呼ばれる回遊式名園を持つ勧修寺  文化財研修記

京都市山科区勧修寺仁王堂町には真言宗の勧修寺(かんしゅうじ叉はかんじゅじとも呼ばれる。)がある。「今昔物語」によると山科の豪族・宮道弥益(みやじいやます)がおり、藤原良房の甥・高藤が狩に来て雨にあい弥益の家に雨宿りして、弥益の女(むすめ)列子(れっし)と結ばれた。のち高藤が弥益家を再訪した時,少女がいて、これが自分の子と知って、列子を夫人とした。この少女が藤原胤子(いんし)であり、長じて宇多天皇の女御となり、醍醐天皇の生母となった。叉、高藤は累進し、没後には正一位太政大臣を贈られた。醍醐天皇は母・胤子の菩提を弔う為に昌秦三年(西暦900年)弥益邸跡を寺とし、弥益の字(あざな)をとり勧修寺としたと云う。特にこの寺の庭園は有名であり、庭園は「勧修寺氷池園」と呼ばれ、「氷室(ひむろ)の池」を中心に造園されていて、叉、周囲の山を借景し、庭の中に前方の山を取り込んで庭の風景が造られ、広大な自然美を楽しむ「池泉回遊式庭園(京都府指定名勝庭園)」であります。古くは平安時代には、毎年一月二日にこの池の氷を宮中に献上し、その氷の厚さによってその年の五穀豊凶を占ったといわれて、京都でも屈指の古池となっています。

勧修寺山門
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山門から入ると直ぐ右手に「寝殿(明正殿)」名の如く明正天皇の寄進にようもの。江戸時代。
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杜若(かきつばた)と睡蓮が満開の庭園
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庭園その2.山を借景
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池泉回遊先から庭園と本堂を見る。
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本堂
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書院(国重文)は入母屋式杮葺(いりもやしき・こけらぶき)
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主幹が落雷で二分された樹齢350年の山桃の古木
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