2017/12/7

京丹波を見る!19.癌封じで有名な臨済宗の古刹の長源寺!  文化財研修記

京都府京丹波町出野岡の下25番地には臨済宗の古刹で癌封じで有名な長源寺がある。貞観114年(874)、文徳天皇の第一皇子惟喬(これたか)親王が皇立継承に敗れて出家、建立(寺伝)。名を梁覚(りょうかく)と改めて諸国行脚の旅に出て、出野を訪れた際、村人たちに癌封じの秘法を伝授したという伝説にちなんで癌封じ寺として信仰を集めている。境内には初代開基様として、惟喬親王の尊牌がおまつりしてある。なお、向かいにあるお椀を伏せたような山は出野城のあった所で、現在の氏神社となっているが、和知全半が一望できる。今の寺が167年前(平成22年現在)まであった寺屋敷は、現在地より山すそ200メートル東南に行ったところにより、「殿池」といって城主の産湯の池が今もある。
観音祭
毎年7月第1日曜日「観音まつり」が行われ、癌封じのご祈祷と癌封じ茶の接待、そうめん流し、福引が行われ、府下は勿論のこと全国各地から1,000人余の参詣があり、社会復帰された方々のお礼のご参詣も年々増えている。祈祷は8時〜15時。
大祭日以外の祈祷は事前連絡が必要です。また、希望により座禅も体験ですることができます。
癌封じ由来
癌封じ寺は臨済宗の寺院で長源寺という。承和11年(844)第55代文徳天皇の皇子惟喬親王が第1皇子としてお生まれになったにも関わらず、第4皇子の母方が藤原氏の出身であったため、時の勢力におされて異母弟の第4皇子惟仁(これひと)親王が第56代清和天皇として譲立された。惟喬親王は皇位継承の夢に破れ悲運のあまり出家され、僧名を梁覚と改めて諸国を巡歴行脚され、伝承によるとこの地にも逗留(とうりゅう)され庵を結び「観世音菩薩」をまつり安居(あんご)された。この地を去るにあたり、民衆に世話のなったお礼として癌封じの秘法を授けて滋賀県筒井へ去られた、ということである。御年54歳で寛平9年(897)2月20日に薨去された。(長源寺HPより)

1.見事な標柱と山門が見える!
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2.駒札
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3.見事な山門と参道
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4.ぼけ封じ観音様
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5.山門
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6.水子地蔵様
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7.癌封じの銘石
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8.癌封じの観音様を祀る本堂前の禅庭
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9.山門から和知が見える絶景地です!
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