2017/11/8

京丹波を見る!8.明智光秀公が丹波攻略のため築いた亀山城跡!  文化財研修記

京都府亀岡市荒塚には明智光秀は、天正5年(1577)頃、丹波攻略の拠点とするために丹波亀山城を築城しました。保津川と沼地を北に望む小高い丘(荒塚山)に築かれましたが、正確な史料が残っていないため全容は分かっていません。光秀は近隣の村から人を呼び寄せ、城下町を形成しました。天正8年(1580)に丹波国を拝領した光秀は、本格的な城下町の整備と領国経営に着手しますが、そのわずか2年後に「本能寺の変」が起こります。亀山城はその後、羽柴秀俊(小早川秀秋)によって修築され、慶長15年(1610)岡部長盛の代に天下普請により近世城郭としての亀山城が完成します。この築城にあたっては城づくりの名手・藤堂高虎が縄張りを務め、五重の層塔型天守が造営されました。又、亀山城の天守は、創建当初では明智光秀によって3重の天守が構えられ、後の小早川秀秋の時、文禄2年(1593))に5重に改築されたという。以降この天守については不明であるが、建築史の観点では、破風の一切ない層塔型天守は慶長14・15年(1609・1610)以降に見られるもので、それ以前の小早川時代に改変されたという天守はそれ以降に再び改変されたか解体され、明治期に撮影された姿のものが新しく建造されたのではないかといわれている。
現在本丸・二の丸・西の丸の地は大本教亀岡本部の天恩卿(てんんおんきょう)となっているので見学には許可が必要です。

1.JR亀岡駅から南へ徒歩10分で城跡全体が見える公園に至る!シャチの模型が面白い!
クリックすると元のサイズで表示します

2.この南郷池を回って「惣構の嶺樹院」が此処にあった!
クリックすると元のサイズで表示します

3.懐かしくも、昔良く仕事で行った大本亀岡本部入口です!
クリックすると元のサイズで表示します

4.石垣
クリックすると元のサイズで表示します

5.内堀(万祥池)
クリックすると元のサイズで表示します

6.雨が又降り始めたので此処で退散!移築された城門の一部(千代川小学校)を借りてきました!
クリックすると元のサイズで表示します

7.下記をクリックして、「動画」で亀岡祭りを見て下さい!
https://youtu.be/jMlH-8sWAqg


綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ