2017/9/15

越後を見る!12.中越長岡市の古刹・金峯神社とその周辺を見る!  文化財研修記

新潟県長岡市西蔵王2−6−19には金峯神社(きんぷじんじゃ)がある。旧社格は県社で明治時代まで蔵王権現という。近辺では「蔵王さま」と呼ばれている。廃仏毀釈までの別当寺は安禅寺(金峰山静観院)であった。祭神は金山彦命を祀り。他に相殿に又倉神社他を祀る。蔵王権現以前は又倉村といい産土神又倉神社を祀っていたという。王神祭は又倉神社祭礼である。和銅2年(709)元明天皇の勅願により北国鎮護のため大和国吉野山の蔵王権現を分霊して古志郡楡原の地に創建されたと伝える。修験者秋葉三尺坊をはじめ僧徒山伏修験者数千人の勢力だったという。秋葉三尺坊は後に信州戸隠を経て遠州に渡り一大修験勢力を築いたという。しかし戦に破れ三島郡矢田の地に隠遁し仁治3年(1242)現在の又倉村の地に遷座したという。信濃川河川交通の重要地であるこの地に門前町を築き、軍事勢力を持ち蔵王堂城を築き長岡の町の基礎を築いた。河川沿いの長い丘状に発展した町の様から長岡という地名が起こったという。なお、『長岡市史』では楡原からの遷座年は不詳で、大島荘川崎郷保倉村に移転し、同村は蔵王村に改称したとされる。南北朝時代にはこの地を巡って激しい戦いが繰り広げられた。当時既に越後国を代表する霊場として広く知られていた。蔵王堂城主堀直竒は信濃川に欠けるこの地から平方原に城を築城した(長岡城) 江戸時代、天海により別当寺の安禅寺が真言宗から天台宗に宗旨替えとなる。元和年中に社殿炎上して古記録が焼失。慶安2年(1649)に徳川家光は朱印300石を寄進された他、越後長岡藩主牧野家は40石寄進し、守護神と崇め家督相続の折には必ず参詣した。明治維新に神仏分離令により神祇と決して別当寺の安禅寺は分離・廃寺となり、蔵王堂は金峯神社と改名。新潟県最初の県社に列す。明治40年に社殿炎上し、大正2年(1913)に再建した。

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2.直江津の海岸線
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4.JR北長岡駅かっら徒歩30分で金峯神社に至る!
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5.正面の参道
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6.見事な手水舎
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7.見事な古木の御神木
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8.見事な拝殿
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9.駒札
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10.毘沙門天堂
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11.駒札
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12.天井画
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