2017/9/9

新潟を見る!9.珍しい浄土真宗仏光寺派の性宗寺!  文化財研修記

上越市寺町3丁目には珍しい浄土真宗仏光寺派の性宗寺(しょうしゅうじ)がある。正式には、高雲山・真宗仏光寺派性宗寺(しょうしゅうじ) 別名和田御坊と呼ばれている当地では数少ない仏光寺派のお寺である。天正3年(1575)当時勢力を誇っていた福井県にある浄土真宗本願寺派の和田山 本覚寺(ほんがくじ)の分寺として春日山城下に創建された寺院である。本覚寺は貞永元年に親鸞聖人の直弟子の心象が和田村(現福井市)に開いた寺院であり、なぜ性宗寺が春日山に来たかと言うと、当時上杉謙信が宿敵で有った浄土真宗(一向宗)と和解するのに越後に一向宗の布教活動を認めた為だと言われている、これにより上杉謙信は上洛が容易に成ったと思われる。その後現在地に移り、(高田城、築城により城下繁栄の為か、、)延宝元年(1673)浄土真宗本願寺派から仏光寺派(ぶっこうじは)、和田御坊となり現在にいたる。
寺宝として親鸞聖人配所御真影、聖人が流罪になり越後に来る時に身に着けていた烏帽子と下垂れ(当時の肌着)が残されている。これらは性宗寺を開いた先祖が、越後で聖人と共に生活していた時に頂いたものと伝えられている。(写真右側、石柱の見真大師とは親鸞聖人が明治天皇から頂いた大師号)です。真宗佛光寺派(しんしゅうぶっこうじは)は、浄土真宗の一派で本山は京都市下京区の「佛光寺」、末寺数は全国で約390ヶ寺、県内では40数ヶ寺、真宗仏光寺派とも書きます。この寺には明治43年(1910)に起こった大逆事件(社会主義者を弾圧した事件)の弁護士を引き受けた「平出修」の墓所がある(駒札参照)。平出修は明治11年4月3日中蒲原郡石山町(現新潟市)に生まれ23歳の時高田馬出町(現上越市大町2丁目)の弁護士平出善吉の妹ライと結婚、同家に入籍した、そして東京の明治法律学校を卒業し、司法官試補と成ったが、その後弁護士に転じ法律事務所を開業した。彼は有名な幸徳秋水の大逆事件などで法廷に立つ一方、矩歌革新運動に加わり、又石川啄木、吉井 勇らと共に文芸雑誌「スバル」を発行した。このように彼は弁護士として、明星派の歌人及び評論家として、そして又社会小説の作家として法と文学両面にかがやかしい業績を残し将来を期待されていたが大正3年3月17日過労の為37歳の若さで他界した。

1.性宗寺の標柱と写真右側は見真大師とは親鸞聖人が明治天皇から頂いた大師号です。
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2.見事な鐘楼
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3.本堂前
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4.本堂
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5.平出修の駒札
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6.真宗仏光寺派本山仏光寺は下記をクリックして見て下さい!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/2675.html


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