2017/9/3

越後を見る!6.下総国から越前国北ノ庄67万石の城主となった家康公2男秀康公移築の善行寺!  文化財研修記

新潟県上越市の高田城下街の寺町には天文6年(1537)に下総国に開基は結城家15代政朝公、開山は日蓮宗の日吉上人である。豊臣秀吉公がこの勇猛な徳川家康公の2男である結城秀康公を恐れて小藩の結城家へ養子にだしていたのは確かである。しかし家康公2男である秀康公が越前北ノ庄67万石に慶長5年(1600)移封され移って来たさい、当寺も移ってきた。松平秀康の子、忠直は「忠直卿行状記」に書かれていたように本人は、父・秀康公は名のごとく豊臣秀吉公と徳川家康公から名前をそれぞれ一字貰っており、2代将軍秀忠公より以上家柄と思慮していたと推測できる。忠直卿はそのため、母・おまんの方・秀康公正室の実家の氷見家を滅ぼしていたが、くい改め松平・氷見家の菩提寺とした。

1.駒札
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2.山門は当時のものである!
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3.山門から本堂へ向かう!
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4.見事な釈迦立像
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5.見事な鐘楼
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6.本堂
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7・本堂の扁額
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8.本堂内
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9.松平・氷見家のお墓
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10.同上
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