2017/5/8

京を見る!8.元祇園社で梛神社があり、大正期に遷座した式内大社・隼神社が右に鎮座!  文化財研修記

京都市中京区壬生椰ノ宮町18−2には元祇園社であった梛神社(なぎじんじゃ)があり、右隣には大正期に遷座した式内大社の隼神社(はやぶさじんじゃ)が鎮座する。主祭神は素戔嗚尊で
配祀神は3柱の、宇賀御魂命、伊弉冉命、誉田別尊である。社伝では、貞観11年(876)に京での疫病流行により播磨国広峰(広峰神社)から牛頭天王(素戔嗚尊)を勧請して鎮疫祭を行った際、牛頭天王の分霊をのせた神輿を梛の林中に置いて祀ったのが創祀という。その後、牛頭天王の神霊を八坂に祀って祇園社(八坂神社)を創建する際、梛の住民が花飾りの風流傘を立て、鉾を振って楽を奏しながら神輿を八坂に送ったといい、これが祇園会の起源であるとしている。又、このことから梛神社は「元祇園社」と呼ばれる。明治までは小祠であったが、明治7年(1874)と昭和4年(1929)の復興により現在の形が整えられた。隼神社は式内大社で
主祭神は建甕槌神(たけみかづちのかみ)、配祀神は 経津主神(ふつぬしのかみ)である。創建は不詳ですが国史では『日本三代実録』において、貞観2年(860)から貞観16年(874)にかけて「後院隼神」の神階が無位から従四位上まで昇叙された旨の記載がある。又、延長5年(927)成立の『延喜式』神名帳では「京中坐神三座 並大」のうちに「左京四条坐神一座 月次新嘗 隼神社」として、式内大社に列するとともに月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。『三代実録』当時に四条に所在した後院は朱雀院(右京三条から四条)であることから、この隼神社は朱雀院の院内に祀られた神社であったと見られている。朱雀院の復元研究においても院の南西角に鎮守として石神明神・隼社があったことが明らかとなっており、当時の隼社の位置は四条大路と皇嘉門大路交点の北東角、すなわち現在の中京区壬生花井町の南西部分と推定されている。その後、『延喜式』編纂時までには左京四条坊内坊城小路に移されたと見られ、以後同地で推移したとされる。江戸時代には「隼」が訛って「ハヤクサ」と読まれたことから、瘡(くさ:皮膚病の一種)の平癒のために信仰されたという。その後大正7年(1918)に現在地の梛神社境内に遷座した。旧鎮座地には石碑が建てられている。尚、奈良県奈良市にも隼神社の鎮座が知られる。同社の社伝では、平安遷都に伴い勧請されて平安京中の隼神社になったとするが、詳らかではないという。

1.「元祇園社梛神社」の標柱があります。
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2.左、梛神社で右は、隼神社が並列しています。
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3.拝殿に向かって右側の狛犬
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4.左の狛犬
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5.左側の梛神社
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6.駒札
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7.右側の隼神社
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8.別な鳥居の横には隼神社の標柱があります!
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9.境内社の一つ
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