2017/4/11

京都を見る!18.国定史跡「i頼山陽書斎、山紫水明処」!!  文化財研修記

『山紫水明処』は、丸太町橋の北側、鴨川の西岸に面し、頼山陽の書斎兼茶室として使われた建物です。頼山陽(安永9年〜天保3年(1780〜1832)は、江戸時代後期に活躍した儒学者・詩人・歴史家です。『日本外史』や『日本政記』などの著作は、明治維新に際して尊攘派の志士たちの精神的な支えとなりました。山陽は、文化8年(1811)、広島から32歳で京都に出て以後、塾を開くなどして生計を立てつつ転居を繰り返しました。4度目の転居で木屋町二条下ル(現在の中京区)に移ると、東山や鴨川の眺望が気に入ったらしく、屋敷を『山紫水明処』と名付けました。しかし、しばらくするうちに手狭になったのか、両替町押小路上ル(現在の中京区)に移り住みますが、その時から、自ら草木を植えて庭を作っていたことが史料からわかります。しかし、家々が立て込み、東山への眺望が無い場所に満足できなくなった山陽は、より郊外の地に移り住むべく土地を探し、ついに6度目で東山の眺望絶佳なこの地に文政5年(1822)に移り、晩年を過ごしました。以後、『日本外史』などの執筆を行い、『日本政記』をほぼ完成させて亡くなりました。山陽はこの屋敷地を「水西荘」と名付け、庭にウメ、サクラ、モモ、ツバキ、ナツメなどの花木、実の成る木を好んで植えました。文政11年(1828年)には新たに書斎兼茶室を造営し、かつて木屋町二条下ルに住んでいた時の屋敷の名前をとって「山紫水明処」と名付けました。これが今の「山紫水明処」です。当時、指折りの知識人で茶の湯にも精通していた山陽は、抹茶より煎茶を大変好んでいたようです。現在の地に水西荘を構えてからは、親しい友人が来ると、脇に流れる鴨川の水を汲んで煎茶を入れて振る舞うなど、形式にとらわれない、自由な茶の湯を楽しんでいました。書斎兼茶室だった「山紫水明処」も、形式にとらわれない生活・接客の空間として、煎茶の用に適した明るく開放的な造りとなっています。障子の明かり採りにガラスを用いたり、欄干に中国風の意匠を用いるなど、随所に煎茶の影響が感じられます。東山と鴨川が眼前に広がるため、山紫水明処の東側に庭はなく、西側に庭があります。この庭には、鴨川の伏流水が湧き出す「降り井」が設けられています。「降り井」は、地面から2メートルほど下に井筒が設けられた半地下式の井戸で、井筒まで降りて水を汲むことから、その名があります。適当な深さに湧き水がないと造ることができないため、京都の伝統的な日本庭園でもほとんど用いられてこなかった大変珍しい意匠です。文献では山陽自身がこの「降り井」を造ったかどうかは確認できず、後世に造られたとする説もあり、はっきりしたことはわかっていません。しかし、清らかな水との接点や自由な気風を大事にする煎茶らしい意匠として、注目されるものです。水西荘は山陽の死後、人手に渡り、明治の中頃まで頼家の手を離れていたため、その間に「山紫水明処」以外の建物が失われました。山陽が植えた数々の樹木も生えかわりましたが、山陽ゆかりの木として、今もナツメが残っています。室戸台風などの影響で環境は大きくかわりましたが、水西荘及び山紫水明処は、頼家の代々の方により、維持管理が行われています。山紫水明処は近年、葛屋葺(くずやぶき)屋根をふき替え、清新なたたずまいがよみがえりました。庭園の管理は、除草・清掃など日常的なものを除いて、樹木の剪定などを古くからなじみの造園業者にお願いしているとのことです。管理方法について、細々と注文はしないとのことですが、実生木を抜くなど植栽はできるだけ現状を保全すること、また、風通しが良くなるように剪定することに特に心がけているとのことです。「水西荘」は、明治維新に影響を与えた人物が住んだ歴史的に由緒ある場所であるため、大正11年(1922年)には早くも「頼山陽書斎(山紫水明処)」として国の史跡に指定されました。
見学の申し込み方法
山紫水明処の見学を希望する場合は、往復はがきに、見学日時(第2希望まで)、人数、代表者の住所・氏名・電話番号を記入し、〒605-0063京都市東山区新門前松原町289、頼山陽旧跡保存会宛てに、拝観希望日の2週間前(必着)までに申し込んでください。見学の際には、頼山陽旧跡保存会の方による説明を聞くことができます。
入場時間/10:00〜16;00、定休日/8月、12月後半〜3月前半、見学料/700円

1.頼山陽山紫水明処の標柱(この戸を開け中に入っていきます。)
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2.此処には「史跡頼山陽山紫水明処」の碑とと駒札があります。
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3.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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4.西側にある庭園から見た東側にある「頼山陽の書斎兼茶室の山紫水明処」
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5.西側の庭園には鴨川の伏流水が湧き出ている「降り井」が地上から2メートル下に設けられている。
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6.書斎内部は撮影可能ですが、ブログに掲載は禁止なので戸口から西側の庭園を見ます。
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7.書斎から東側の鴨川と東山を見ます。
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8.説明があり頂いた資料で、泊=天草洋-「天草洋(なだ)に泊す)を掲載します。(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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