2017/4/7

京都を見る!16.国登録有形文化財(建築物)の料理旅館「幾松」見学と昼食!  文化財研修記

京都市中京区上木屋町通り御池上るには国土の歴史的景観に寄与しているものとして、二棟が国の登録有形文化財(建造物)に登録されてい料理旅館の「幾松(いくまつ)」がある。「幾松」は、幕末の頃倒幕運動に大きな役割を果たした維新の三傑の一人である桂小五郎(のち木戸孝允)と三本木の芸妓幾松(のちの松子夫人)の木屋町寓居跡です。木戸孝允が没した翌日、松子夫人は剃髪染衣し翠香院と号し、お二人の想い出に溢れた当屋敷で余生をお過ごしになりました。 幾松は若狭小浜生まれ。小浜藩士の木崎市兵衛と、医師の細川益庵の娘との間に生を受けました。しかし幼少の頃、藩内の事件から父、市兵衛が妻子を残して出奔。八歳の時に京都に出てそののち三本木の芸妓になりました。 桂小五郎とのロマンスは文久のころから始まったと伝えられております。当時、反勢力より、常に命を狙われていた桂小五郎を自らの命をかけ、機転を利かせ護りぬいた幾松の気丈さと愛の深さ、また二人の信頼関係の強さは、維新後の明治時代の人々にも多くの尊敬を集めました。 明治維新後、桂小五郎は木戸孝允と改名し、参議など要職を歴任、政府内の進歩派の中心として、廃藩置県、藩政奉還に尽力しました。幾松は山口藩士の岡部富太郎の養女となり松子と改名、正式に木戸孝允の妻となりました。
殺伐とした幕末動乱期に花を咲かせた二人のロマンスは、時を経た現代の私たちにも深い共感を呼ぶあでやかなエピソードとして名高いものです。 幕末当時、幾度となく当時の長州藩の尊王攘夷派の反勢力により詮議を受けたと伝えられている当屋敷でございますが、今も尚、抜け穴、飛び穴、のぞき穴、つり天井など出来る限り当時に近い状態で保存いたしております。当時は、不意の敵にそなえて、幾松の間の天井には大きな石が仕掛けられておりました。全てをご覧頂くことは出来ませんが、御希望のお客様にはお食事の前に簡単な幾松の間の説明をさせて頂いております。(株)幾松ホームページより抜粋。
国の登録有形文化財である幾松の間を期間限定でご案内いたします。
期間:12月から4月まで。見学(説明付)一人800円 見学(説明、抹茶付き) 一人1,300円  時間午前10:00〜11時、午後2時〜3時 ※10名様以上で事前ご予約お願い申し上げます。 異約金について及びご予約・お問い合わせ 採用情報 は
(株)幾松 〒604-0923 京都市中京区木屋町通御池上る
      電話:(075)231-1234(代表)
      FAX:(075)231-4192
      
1.料理旅館「幾松」前にある「高瀬川船乗場」
クリックすると元のサイズで表示します

2.幾松入口(間口が狭い京都独特の入口、昔は入口の広さで税金が掛けられたためです。)
クリックすると元のサイズで表示します

3.展示メニュー
クリックすると元のサイズで表示します

4.玄関
クリックすると元のサイズで表示します

5.之も京都独特の内庭の一部(内庭を囲んで建物が建てられた。)
クリックすると元のサイズで表示します

6.同上
クリックすると元のサイズで表示します

7.幾松の部屋(ここで説明を受ける。)
クリックすると元のサイズで表示します

8.同上 床の間には木戸孝允の雅号「松菊」の銘が入った掛軸が掛けてあります。
クリックすると元のサイズで表示します

9.同上 幾松の肖像画が掛けてある床の間
クリックすると元のサイズで表示します

10.お一人7,200円のミニ会席だったが、順次出てくる料理はフル会席だった!
クリックすると元のサイズで表示します

11.同上
クリックすると元のサイズで表示します

12.同上 まだまだ料理が出てきて、堪能しました。
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ