2017/4/3

京都を見る!14.坂本龍馬・中岡新太郎・木戸孝允など明治以降の志士や戦死者を祀る京都護国神社!  文化財研修記

京都市東山区霊山町いには坂本龍馬・中岡新太郎・木戸孝允など明治以降の志士や戦死者7万3千余名が祀られている京都護国神社(きょうとごこくじんじゃ)がある。文久2年(1862)、時衆霊山派の正法寺の朱印地のなかの神道葬祭場霊明社において有志者による神葬祭が行われた。祭神は菊理媛神・速玉男命・事解男命の3神であった。慶応4年5月10日(1868年6月29日)、明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たち(天誅組など)の御霊を奉祀するために、京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔・御沙汰が発せられた。それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本などの諸藩が相計らい京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのが神社創建のはじまりであり、招魂社である。靖国神社より古い歴史を持つ。当初の社号を霊山官祭招魂社と称し、社格にはとくに「官祭社」に列し国費で営繕されてきた。昭和11年(1936)、支那事変(日中戦争)をきっかけとして国難に殉じた京都府出身者の英霊を手厚く祀ろうという運動がおき、霊山官祭招魂社造営委員会が組織され、境内を拡大して新たに社殿を造営した。昭和14年(1939)4月1日、内務大臣布告によって現在の社号である京都霊山護国神社と改称された。戦後は宗教法人・神社本庁の包括下におかれ、国家の手を離れた。GHQ占領下においては京都神社に改称していたが、独立後は元の社名に復した。昭和45年(1970)、境内に明治維新関係の資料を展示する「霊山歴史館」が開館した。平成14年(2002)には神社本庁との包括関係を解消された。祭神の中には京都で暗殺された坂本龍馬も含まれており、境内に銅像が作られているほか、誕生日であり命日でもある11月15日には、龍馬の遺徳を偲び霊を慰める龍馬祭が行われる(誕生日・命日は本来は旧暦11月15日だが、祭は新暦11月15日に行われている)。龍馬のほかに、木戸孝允、中岡慎太郎、頼三樹三郎、梅田雲浜、吉村寅太郎、平野国臣、久坂玄瑞、高杉晋作、宮部鼎蔵、田岡俊三郎ら幕末勤王の志士1,356柱、明治以降の日清戦争、日露戦争、太平洋戦争などの戦死者を合わせ約73、000柱が祭神として祀られている。

1.京都護国神社の標柱
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2.登り参道お左側には太平洋戦争での死者200万人以上を胎内で祀っている高さ24メートルもある霊山観音様!
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3.維新の道の碑
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4.同上駒札
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5.京都護国神社拝殿
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6.同上 駒札
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7.日アデン・本殿を見下ろして東山36峰の一つ霊鷲山(りょうじゅせん)を登って行きます!
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8.更に霊鷲山を登ります!
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9.土佐藩の吉村寅太郎を初めとする天誅組のお墓
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10.同上 駒札
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11.坂本龍馬と中岡慎太郎の像と碑文
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12.正二位木戸孝允(桂 小五郎)のお墓。幾松のお墓は遠慮して離れてあります!
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13.同上 駒札
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14.長州藩勤王烈士のお墓群!
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