2007/1/6

京都逍遥2日間13.臨済宗大本山大徳寺2.  文化財研修記

臨済宗大本山大徳寺前下車。開山は宗峰妙超「しょうほうみょうちょう・大燈国師(だいとうこくし)1282−1337」で播磨の出身で浦上一国の子で赤松則村の姉が母と云う。浦上家の家老が例の黒田長政である。寺は応仁の乱で消失、15世紀に一休禅師が復興した臨済宗大徳寺派の大本山である。従って、後小松天皇の子であった一休禅師の終焉の地、京田辺市にある酬恩庵は由緒寺院として有名であり、墓所は宮内庁管轄である。三大唐門は豊国神社、西本願寺、そしてこの大徳寺と云われているが今回撮り漏れしてしまった。又、今年度中に紹介したいと考えています。国宝の唐門、方丈、重文の法堂、勅旨門や塔頭(たっちゅう)21が並ぶ大寺院はのこれらはほとんど戦国武将の寄進である。重文の山門は、楼上に千利休の木像を置いたことで豊臣秀吉の逆鱗にふれ、利休が切腹を命じられたことで知られている。堂内、庭園は特別な時のみ公開。一般公開されている、竜源院、高桐院、瑞峰院の内と大仙院がある。この内の「枯山水庭園と国宝方丈」を持つ「大仙院」を紹介します。大仙院の開祖は大聖国師で永正6年(1509)応仁の乱の直後に作られた。鶴島と亀島の間に蓬莱山があり、そこから瀧が流れ落ちる。石橋の下をくぐり透渡殿の下をくぐった水は一旦堰を落ちて大河となり、石の宝船が浮かび小亀の泳ぐ景色を見せて遂に方丈南側の大海に至る。同じ蓬莱山の瀧の水が亀島の前を通って西行すれば方丈の北の中に至る。

国宝「大仙院の方丈」
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大仙院入口の庭園
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枯山水の石庭1.
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枯山水の石庭2.
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枯山水のつくばい
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