2015/11/24

家康公400年祭!46.豊臣秀吉公没落家康公の台頭の原因となった名護屋城址!  文化財研修記

唐津市と玄海町に広がる国特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592〜1598)の出兵基地であり、日本列島と朝鮮半島との長い交流史のなかで、その関係を一時断絶させた不幸な歴史の舞台です。同時に、名護屋城跡を中心に半径3キロメートルの範囲にひろがるこの遺跡群は、全国から130を超える大名が集結し陣屋を構築して在陣するという、日本の歴史上にも類を見ない、広域かつ特異な遺跡群です。
名護屋城は天正19年(1591)年10月から翌年2月にかけてわずか5ヶ月で完成した広さ17万平方メートルの巨大な城で、当時は大坂城に次ぐ全国2番目の規模でした。現在は城跡の石垣が当時の面影を伝えています。また、全国から集まった武士と商人で人口20万人を超える城下町ができました。秀吉ら朝鮮へ渡海しなかった大名たちは能楽や茶の湯といった桃山文化を名護屋に持ち込みました。平成9年(1997)には名護屋城跡の山里丸(秀吉の居館跡)で茅葺の草庵茶室跡が発見され大きな話題となりました。また、文禄・慶長の役では朝鮮半島から多くの人々が戦国大名によって日本に連れて来られました。その中の優れた技術を持つ陶工は九州各地で製陶を行いました。佐賀県を代表する唐津焼、有田焼も彼らが作り始めたと言われています。家康公は関東の護りとして出兵しなかった!のは対秀吉公への作戦勝であった。

1.JR唐津駅からの乗り合いバスを名護屋城博物館入口で下車
クリックすると元のサイズで表示します

2.徒歩で大手口へ向かう
クリックすると元のサイズで表示します

3.大手口手前の案内石版(画像をクリックして拡大すると読めます。)
クリックすると元のサイズで表示します

4.当時の各大名の陣構え図
クリックすると元のサイズで表示します

5.現在地
クリックすると元のサイズで表示します

6.大手口跡方面
クリックすると元のサイズで表示します

7.案内石版
クリックすると元のサイズで表示します

8.大手口跡
クリックすると元のサイズで表示します

9.名護屋城址と陣地図
クリックすると元のサイズで表示します

10.下記をクリックして、「音声付動画」で東出丸からの現在の景色を見て下さい!
http://youtu.be/g-Zmuj6osAQ

11.東出丸案内版
クリックすると元のサイズで表示します

12.東出丸の巨大な石壁
クリックすると元のサイズで表示します

13.本丸方面へ向かう
クリックすると元のサイズで表示します

14.東郷平八郎の名護屋城址碑
クリックすると元のサイズで表示します

15.青木月斗句碑
クリックすると元のサイズで表示します

16.名護屋城天守台碑
クリックすると元のサイズで表示します

17.天守台碑
クリックすると元のサイズで表示します

18.下記をクリックして、「音声付動画」で、玄界灘方面を見て下さい!
http://youtu.be/rmri7J44J7M

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ