2015/11/22

家康公400年祭!45.詩人北原白秋が8年間「ミミズクの家」を建て多彩な文芸活動をした伝肇寺!  文化財研修記

小田原市城山には北原白秋が大正7年(1918)から8年間、「木兎(みみずく)の家」を建てて住んだ伝肇寺(でんちょうじ)がある。伝肇寺の創建は、成安2年(1300)で鎌倉時代の末期である。関東初の念仏道場として永徳年間(1300年頃)、浄土宗列祖 良肇(りょうじょう)和尚が知恩院法脈を伝え、伝肇寺と号して、関東最初の念仏道場とした。 出世寺の別名があり3世道誉(どうよ)、4世感誉(かんよ)両和尚は、後に増上寺9世、10世となる。
又、往時は、紫衣勅許(地位の高い紫の衣を着る許可を得ること)の際は伝肇寺の添状を要したので、「出世の寺」の別称があった。北条氏直の帰依は天正期(戦国時代の1587)、北条氏直は、伝肇寺10世の底牛和尚に深く帰依し2万数千坪の寺領と、朱印数通を与えた。
大正7年(1918)34歳の北原白秋は、小笠原から小田原に転居した。自然と一体の生活を望んでいて、伝肇寺34世の云隆和尚を頼り、境内に芭蕉好みの南方的な庵室「木菟(みみづく)の家」を建てた。 大正15年、東京に転居するまで、短歌、論文、小説等を多数発表、華々しい活躍をした。あわて床屋」、「かやの木やま」等の童謡を世に送り、有名になった。白秋の生地は福岡県の柳川市で、当時、それに似た町並みを持つ城下町小田原は、深く彼の心をとらえていた。そのためか、当時の文学題材は、その殆どが付近の風物に印象を得ている。白秋は、昭和17年11月2日に没したが、彼にとって、小田原は、第二の故郷と言っても過言ではなかろう。

1.伝肇寺標柱と山門
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2.本堂(本堂の前にはミミズク幼稚園がある。)
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3.栢木(かやのき)地蔵堂
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4.石造りの栢木地蔵尊
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5.六俵大黒天像
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6.駒札
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7.境内にある北原白秋のミミズクの家の碑
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