2006/11/14

臨済宗・梅巌寺とその文化財  綾部の文化財

小生の「花と綾部の文化財」は投稿60回目になるので、もっともご縁のある方の所と決めた。20数年前に小生の父母の葬儀の陪僧を勤めて頂いた岩佐寛海住職のお寺です。京都府綾部市「もと(何鹿郡)いかるがぐん」下八田町水崎26番地には綾部西国観音霊場第6番札所であり、現在は臨済宗妙心寺派の寺であるが、もともと健武年間(南北朝時代)に真言宗の大寺として威容を誇っていたと言う。室町時代には大火のために廃寺同様となったが、この下八田地区が山家藩谷家の領地となって後の元禄年間(1700年代)に再興され、福井県小浜市(此処は大変国宝や重文のある寺が多く、今春の研修旅行記にも国宝の明通寺を記載した。)の常光寺より禅師を迎えて現在の臨済宗に改められた。この寺住職は又花木が好きで,平成五年には境内に紅白梅45本が植えたれたとの事。この寺は「瑞雲山 梅巌寺(ばいがんじ)」と云い、正に「梅の巌」の名にふさわしい。この寺を歌った歌は「実りには 花もやさかん 梅巌寺 草木のすえも ともになびきて」、本堂には江戸時代末期の文政3年(1820)に小畑(おばた)の3社祭りの小畑の屋台の裏の龍の絵が描かれ、その時、72歳で候、素后の署名と落款があり、はその絵を画いた本名は長谷川素后(はせがわそごう)であり、山家藩谷家のお抱え絵師であったので山家素后(やまがそごう)とも呼ばれていた絵師の貴重な禅画襖絵4幅が画かれている。それを撮りに行ったったのだが、この絵とご本尊十一面観音、室町時代の庭園があることのみ頭にあり、夏にダウンして古木の「百日紅(さるすべり)」の木の撮影ができなかった。今回、4幅の禅画とご本尊、室町庭園を撮影したが、そればかり頭にあり、吉美小学校の授業の一環で年数回サッカーを教えている日であり、コーヒーのみ頂戴し、サッカー指導後、家で梅巌寺の資料を見ると、ご本尊左横に恵心僧都の手による一刀彫の等身大の地蔵菩薩立像と右側には、達磨大師の坐像があると記されていた。そこで、住職に電話するとその通りで、小生が聞かなかったので「云わなかった。」諭旨であった。又、冬の梅巌寺も趣があるのでその節、撮らせて上げるとの事。又、コーヒーのみに来ててよ!!雑談しようとの事であった。今回は素后の禅画2幅、室町時代の庭園、ご本尊、綾部の大本教の教祖・出口直さんが修行された綾部の霊場・弥仙山「(みせんさん)丹波富士とも云う。」が表庭園から見える所を入力しました。冬にその風景や残りの素后の2幅の禅画や恵心僧都の一刀彫の地蔵菩薩像を期待して下さい。

本堂前の紅葉(もっと見事になります)
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本堂前の庭園から古木の百日紅の木の間に綾部の霊山「弥仙山(みせんさん)」が遠望
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長谷川(山家)素后の襖の禅画1.
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長谷川(山家)素后の襖の禅画2.


室町時代の庭園
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ご本尊「十一面観音」様
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観音堂からみた正面の庭園
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