物部城址 上原氏の居城
源の頼朝は平氏を滅ぼすや国々に守護地頭を任じて幕府の支配下に置いたが、建久四年(1193)物部郷の地頭として頼朝の家来信濃諏訪神党の上原成政(上原氏由緒書では右エ門丞景正)が来て、初め高屋山に城を築いたが後にここに築城し、鎌倉時代以来の在地豪族として、戦国時代丹波の守護代となって威を振るった。
元亀二年(1571)上原右エ門小輔の時、氷上郡黒井の城主、赤井直政に攻められて落城した。城山の南麓の諏訪神社は上原氏が故郷諏訪から勧請した氏神である。諏訪神社

諏訪神社境内には、稲荷神社、天満宮社、厄善神社がならぶ

諏訪神社前右には正慶山・常福寺がある、向かいは物部小学校

清正公大神神社が寺の右にある。写真を撮っているとお寺からご夫人が出てこられたので何のお宮さんか訪ねると加藤清正を祀ってあるとのこと。なお昨日、新田会員から文化財会報を貰ったと云われた。

なお物部地区西坂町にはもう一つ諏訪神社がある。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/156.html
2006/6/24「延喜式内社・高蔵神社と諏訪神社」 綾部の文化財
諏訪神社由緒縁起
京都府綾部市(物部地区)西坂町にあるこの「諏訪神社」は源頼朝の命で建久4年(1193)に信州上田城主の上原右ェ門丞景正が丹波の国何鹿郡(いかるがぐん)の地頭職に任ぜられ、物部町高尾に城郭を築き、信州一ノ宮・諏訪明神の分霊を祀ってこの「諏訪神社」を建立。何鹿郡では「地頭職」の名前はこの上原氏のみ判明している。御祭神は「建御名富神と姫神八坂刀売神」であり、境内社は稲荷神社もあり、十月十七日の秋祭りには「高蔵神社の神輿」が立ち寄り、宮司、自治会長等が参拝する。
上記の物部の諏訪神社と殆ど同じ内容である。