2006/6/28

曹洞宗・浄泉寺とその背景  綾部の文化財

綾部市位田町田岸63番地にある、あやべ西国観音霊場第12番札所の曹洞宗永平寺派の「観流山・浄泉寺(じょうせんじ)」は元々真言宗の寺で、元はもっと奥に位置していたと言う。しかし、左裏の山は「高城山(たかしろやま)」といい、ここには「応仁の乱」のとき山城国一揆より勝ると言われる、大規模な丹波国一揆が、延徳から明応(1485〜1493)にかけて4年間も続き、この高城山(位田城)が大槻・荻野氏の拠点となり、管領細川正元や丹波守護代の上原元秀に激しく抵抗した所であり、当然当寺も兵火をうけた。曹洞宗になったのは慶長年間(1600年)頃、福知山久昌寺の二世・南渓存越(なんけいそんえつ)大和尚が荒廃していたこの寺を改めて、開創されたことによると言う。又、この寺からは由良川越えに四尾山や綾部市街が一望できる。本尊聖観音様の撮影は残念ながら断られたので、見たい方は春と秋に実施される「一日13ヶ寺を廻るAコース」にご参加ください 。

浄泉寺正面
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この中には素晴らしい「聖観世音菩薩」様
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左手の山は「高城山」で現在でも登り、「堀切」の跡が確認できます。
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ここから見える山は綾部市のシンボル「四尾山」と市街地
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