2012/10/26

小畑三社祭り(やっこさん)写真の部  綾部の文化財

小畑祭りを今回は綾部市総合文化祭の参加展示の中で動画を映写するので、動画撮影を主体に取材した。そのため写真の撮影を同時には出来ないので、「子供太鼓」「やっこふり」「山車の大揺すり」の写真は出だしの部分しか撮れなかった。

今回、FACEBOOKにページを作成したところ、多くの方から活発なコメントをいただいた。その概要を私からのコメントの部分だけをお許しいただいて最後に付記する。

クリックすると元のサイズで表示します
午後一番に歩いて再び一之宮神社(鍛冶屋町)に行き、神輿の出陣を撮る。京都八坂神社のお下がりだと言う豪華な神輿

クリックすると元のサイズで表示します
神社境内を右の山道に向かう神輿

クリックすると元のサイズで表示します
山道を下り府道に出てくる神輿

クリックすると元のサイズで表示します
府道に出た神輿を三之宮の子供太鼓の一行が追い越していく

クリックすると元のサイズで表示します
一之宮神社の神輿行列 以前の取材の時は三之宮神社の神輿を待って2連の神輿行列を1枚の写真に撮ったが、今は別個に合同祭礼広場に進むとのことだ

クリックすると元のサイズで表示します
待っていると三之宮神社の神輿がやって来た

クリックすると元のサイズで表示します
三之宮神社のお囃子の一行が歩いて続く

クリックすると元のサイズで表示します
鍛冶屋町の交差点に戻ると小畑町から二之宮神社の神輿がやって来た

クリックすると元のサイズで表示します
交差点をまわり合同祭礼会場に向かう神輿 上に見える丘にも神輿の先導で運び込まれた神社の山鉾などが並び、奴さん、山車の丘登りを待つ氏子さんたちの姿が並んでいる

クリックすると元のサイズで表示します
小畑の二之宮の山車も到着 ステージに豪華な松茸がずらりと飾られている

クリックすると元のサイズで表示します
神輿や三社の子供太鼓で騒然とする合同祭礼の会場風景

クリックすると元のサイズで表示します
子供太鼓 三社の鍛冶屋、小畑、小西の太鼓が並んで置かれ、それぞれの子供たちが行列して代わる代わる太鼓を叩いていく。中学生たちは太鼓の傍で笛を吹いている

クリックすると元のサイズで表示します
三社の子供太鼓

クリックすると元のサイズで表示します
三社の子供太鼓

クリックすると元のサイズで表示します
3基の山車が府道に並べられていく 通行止めだが「アヤバス」が通って行った(主要道路なのでバス路線に迂回路がとれない)

クリックすると元のサイズで表示します
三之宮神社(小西町)の山車 丹波の三大画家の一人である「山家素豪」の雲龍図が掛けられている

クリックすると元のサイズで表示します
山車のステージ飾り

クリックすると元のサイズで表示します
中村孝行宮司の拝礼 5人の神社総代が並ばれているので本当は5社祭りのようだ

クリックすると元のサイズで表示します
小畑一之宮、二之宮、三之宮の3基の神輿が並び、神饌が供えられている

クリックすると元のサイズで表示します
いよいよ「やっこさん」の演技が始まった、一之宮神社の奴さんを先頭に

クリックすると元のサイズで表示します
2本の長い槍を空中に投げて受け止める「奴振り」やっこ踊りの演技。動画撮影のブログをご覧ください。撮った写真はこの一枚だけ

クリックすると元のサイズで表示します
二之宮神社の山車が中央に進んでくる

クリックすると元のサイズで表示します
最初の演技が終わった一之宮神社の山車は次の演技場所で待機、二之宮神社の「やっこふり」が終わり、山車が大揺れ、大暴れしている。大勢の人がかかり恐いぐらいに山車が左右に傾けられ引き回されている。壊れないのか心配なくらいだ。

ふとこんなことを連想した。「静」から「動」!:先頭の箱もちの奴さん2人は、じっと片足を上げたままのポーズで演技の間ずっと静止している。槍の奴さんたち2組も静止のポーズから動き出し奴踊りを始める。槍を投げ上げ、受け止め、次第に動きが激しくなる。その動きに引きづられるように山車が揺れだし、大揺れに変わり、倒れるばかりに揺れ、終には引き回されて大暴れする・・・。まるで「鯰が暴れて大地震」のようだ。

<参考>(京都の妙心寺塔頭寺院の退蔵院には、国宝で有名な「紙本墨画淡彩瓢鯰図(ひょうねんず:瓢箪でなまず鯰をおさえようとする。)」があり、保存の関係上、現在は京都国立博物館に寄託されており、その模写が掲げられています。

東北大震災の後で人々に元気、絆を取り戻そうと「祭り」の復活がニュースになっていた。津波で壊れた廃墟から山車が見つかり、祭り好きの勇気のある若者の働きかけで、離散した村人、祭り仲間が加わり、辛うじて生延びた樹木を残して山車を動かせた。祭りが復活した。村人たちの元気が絆が復活した・・と言う感激の物語が被災した各地で行われたと報道で見た。「祭り」のパワー、永遠なれ!

クリックすると元のサイズで表示します
やっこさん丘を登る 槍の投げ上げ受け止めなど3度目の演技をしながら丘を登っていく

クリックすると元のサイズで表示します
二之宮神社の山車は神輿形式なので丘に登らず、素晴らしいお囃子の演奏を聞かせたあと大揺れして道際に退避。2本の担ぎ棒が差し込まれた

クリックすると元のサイズで表示します
丘に登り鎮座した2基の山車と三社のお囃子衆

クリックすると元のサイズで表示します
奴さんを先頭に神社毎に丘を下りる

クリックすると元のサイズで表示します
お囃子衆が丘を降りる

クリックすると元のサイズで表示します
供えられた神饌が片付けられた3基の神輿


<参考資料>FACEBOOKにページを作成して、視聴者からいただいたコメントに次のとおり回答しました。

・私)昨日の二之宮神社の演技も素晴らしい見ものでした。息子さま頑張られていたのですね。友達リクエスト有難うございます。FACEBOOKは初めて一週間足らずの新米ですが宜しくお願いいたします。

・私)午前中に三社をまわり三之宮神社で大川神社、稲葉神社、若宮神社の方々も一緒に三之宮神社祭りをしていて、さらに小畑の合同祭礼があるように伺いました。熊野神社では神社総代様が一人おられ話をしていると女性の方が見え、小畑公会堂(みそ)にある山車に案内していただきました。祭りの幟が各地に立ち沢山の神社があるのだと思いました。中村様にも「小畑祭り」が綾部市の観光協会にノータッチ、綾部の歳時記からも落ちている、かっては綾部三大祭と言われてきた賑やかなお祭りなのに・・・、物部の諏訪神社の祭りは春、夏、秋の3祭りが歳時記に載っていますよ。市の商工観光(観光協会)事務局関与の祭り、市長が来る、市の職員も来る・・他所の祭りの状態です。観光協会の人が小畑からの働きかけがないので手が出せないとか聞きました。祭りの名称も定着させる工夫をお願いします。ご連絡いただけば直ちに修正します。よろしくお願いいたします。

・私)FB綾部の文化財を守る会にリクエスト有難うございました。チャットを拝見して祭りの名称について確証がないまま記事にしていることに気がつきました。それとFB新米なのでチャットをどうしたら見られるのか、どのように対応(レスポンス)したら良いのか不案内です。タイムラインに書き込ませていただきましたが・・・

・私)お早うございます。同じ14日に行われた市役所前広場にあつまる神輿は4基ですが、八社合同祭礼と呼ばれ八人の神社総代が祭礼に並ばれています。小畑の祭りでも5名の方が並び中村宮司様の御祓いを受けておられるので5社祭りなんですね。一方、私は歴史門外漢なのでいい加減ですが、昔、官幣神社でテリトリーを決めて1宮、2宮、3宮を決めることが全国的に行われたそうです。大きな神社に行くと駒札に神社の変遷が書かれています。於与岐町の小さなテリトリーにも二ノ宮神社があり、冬に厄除けの狐狩りという素朴な行事が行われています。「三社祭り」と言うのは数でなくこの小畑1宮、2宮、3宮のテリトリーのお祭りと言うことではないのでしょうか。熊野神社に行くと神輿に「二富大明神」の銘札が付けられており、なるほど二宮神社なのだと思いました。中村宮司様は綾部史談会の郷土史専門の研究者ですから尋ねられると良いと思います。

・私)まず紙面をお借りすることにお詫びいたします。
中村先生、チャットで故郷の祭りに寄せる熱い思いと「三社祭り」の疑問を伺い、私なりに拙い考えを伝えましたところ、先生のお目に留まり大変恐縮しています。綾部の文化財を守る会の35周年(12月10日)にあたり、記念事業としてホームページの作成が決まり略1年間足らずの準備期間に、守る会の建てた駒札、会報記事、私のJC時代に関係した冊子:丹の国綾部の写真集について社寺、祭り、行事など文化財を撮り、デジタル化してホームページに編集し記念式典に公開しました。その中に、由良川考古学会 中村孝行氏の次の記事があり、先生を知りました。
会報7号 昭和48年10月8日
青野遺跡の調査を終つて
http://ayabun.net/kaiho/maibun/aono2.htm
会報19号 昭和59年3月26日
発掘調査と埋蔵文化財の保護
上林城址 久田山古墳群 青野・綾中地区遺跡群
http://ayabun.net/kaiho/maibun/iseki1.html

 綾中3年担任の恩師:故木下礼次先生にJC時代の町づくり市民運動理念とPCの腕を見込まれ、綾部市歴史民俗資料館建設促進協議会の結成と事務局、陳情・請願などを協力したのが文化財との関係の始まりです。綾中の時に何故か歴史クラブに入っていて、以久田野古墳発掘調査の見学に引率されたのを覚えています。故梅原三郎先生もそうですが、当時の先生方は皆様が熱心な社会活動の先達者であり、梅原先生からPCの伝授を頼まれインターネットにまで手を伸ばそうとされた知識欲には驚かされました。
自己流のPCオタクで全くの歴史門外漢です。ふるさと綾部への郷土愛だけで作成するHPですので、身知らずの間違った記述も多いと思います。ビシビシご指導いただきますようお願い申し上げます。

青野遺跡の調査を終わって
ayabun.net
会報7号 昭和48年10月8日     あやべの文化財    1.はじめに 青野遺跡の発掘調査は、昭和47年12月20日に開始され、昭和48年4月5日に終了した
。この期間は綾部地方では最も天候が悪く、雪と雨、それに冷たい北風にはばまれた悪条件のもとでの調査であった。連日の悪天候のため地盤はぬかるみ、遺構の確認は、困難を極めたが、今回の調査において合計16基の住居址と7箇所の土、及び遺構内を走る何本かの溝を確認し、多量の土器を始めとする貴重な遺物を得ることが出来た。困難な条件のもとではあったが、調査を無事終了し得たことは、関係各位の非常な御援助によるものであり、特に原因者として調査費用を負担して...

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ