2012/8/30

長岡京市の文化財・史址を見る!6.細川忠興と妻・ガラシャの愛の城「勝龍寺城址」1.!  文化財研修記

この城は、歴応2年(1339)に細川頼春(よりはる)が京都へ進出して来る南朝方に対抗するため、北朝(足利尊氏)方の前線基地として築いたといわれ、京都盆地の南西部を防衛する要所にありました。応仁・文明の乱(1467〜)では西岡地方における西軍(畠山義就、よしなり)の拠点となり、戦国時代になると、永禄11年(1568)に織田信長が上洛して西岡一帯を攻略し、細川藤孝(のちの幽斎)に城が与えられ、堅固な城に改修しました。
 天正10年(1582)の山崎の合戦で明智光秀が本拠としましたが、落城しました。ところが、この城は天正6年(1578)に明知光秀の三女の玉(のちの細川ガラシャ)が織田信長の仲立ちで16歳で長男忠興のもとに輿入れしたところで、歴史とロマンを秘めた城として全国に知られています。
 城の中心は本丸と沼田丸に分れ、外郭施設には城の北側を守るための土塁や空掘跡が神足神社(こうたりじんじゃ)周辺にまで今でも残されています。2012年6月2度目の訪問を綾部市文化協会の研修旅行で訪れて再度見た記事を掲載します。特別展として「勝龍寺城の時代と細川ガラシャ」を催していましたので細川ガラシャを中心として見てみます。

1.勝龍寺城跡前の道は「ガラシャ通」です。
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2.勝龍寺城の南門と南隅櫓(下記掲載の細川藤孝居城時の勝龍寺城の復元想定図1.の位置からの撮影です。)
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3.細川藤孝居城時の勝龍寺城の復元想定図
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4.駒札
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5.南門と南隅櫓(復元のもの)
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6.南城門前
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7.南城門と南隅櫓
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8.日本歴史公園100選の碑
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9.本丸井戸跡(復元図の真中少し上)
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10.本丸井戸跡横の「細川ガラシャおもかげの水」碑(水は少しですが、沼田丸跡に滾々と湧き出る名水で同じく「細川ガラシャおもかげの水」は最後に掲載します。
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11.その少し東寄りには「細川忠興と新婚の妻・玉(ガラシャ)像があります。
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12.東塀から本丸址や南門・南隅櫓を見る!
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13.復元図2.の東北の隅櫓
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14.北門跡
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15.同上 2.
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16.沼田丸への道
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17.沼田丸の一部
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18.沼田丸の井戸址(現在は駐車場となっています。)
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19.沼田丸跡の「細川ガラシャおもかげの水」駒札
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20.この井戸では名水が滾々と湧き出ており。長岡京市民が大勢この水を汲みに来ていますよ。
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