2012/8/29

長岡京市の文化財・史址を見る!5.長岡京発掘の父・中山修一記念館!  文化財研修記

京都府長岡京市久貝三丁目3−3(電話*075−957−7176)午前10時〜午後4時まで、火曜日休館です!には「長岡京市発掘の父・修一記念館」があります。故中山修一さんは、約1,200年前、この地にあった「長岡京」の発掘と研究に生涯をかけ、それま3で文献上の存在のみであった「幻の都」長岡京が実在したことを初めて証明しました。生家の一部を利用し、中山さんの足跡と長岡京について、学べるようにした記念館で小生にも初めての訪問でした。
中山修一先生経歴略:1915〜1997
長岡京市生まれ。周辺地域の教員として、教鞭をとるかたわら、私費で長岡京の発掘を手がけ「幻の都」といわれていた長岡京の実在を明らかにされた。又、郷土史の解明や遺跡保護にも精力的に取り組み、長岡京市文化財保護審議会々長など多くの審議会委員を歴任されまちずくりに参画された。京都文教短期大学名誉教授、吉川英治文化賞、京都府文化賞特別功労賞などを数多く受賞。

1.中山修一記念館
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2.同上 入口(説明される長岡京市ボランテアガイドさんです。)
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3.同上 日本のシュリーマンと呼ばれた中山修一先生の胸像
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4.同上 内庭
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5.館内の中山修一先生(写真)
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6.長岡京市学芸員から説明を聞く!
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7.長岡京とはどんな都ですのん?
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(1)長岡京時代ってどんな時代?
今から、1200年前の延暦(えんりゃく)3年(784)11月11日桓武天皇が命令で平城京から移された都です。たった10年間でしたが、長岡京時代に次の偉大な平安京での政治の仕組みがつくられた!
(2)長岡京の大きさは?
長岡京は東西4.3キロメートル、南北5.3キロメートル、平城京や平安京とほぼ同じ規模で、現在の向日市(むこうし)、長岡京市、大山崎町と京都市の一部に広がっていた。政治の中心である長岡宮は向日市、経済の中心地、市は長岡京市、表玄関は山崎津・淀津は大山崎町と京都市伏見区淀にあった。
(3)何故平安京に移されたのいですか?
延暦11年(792)小畑川などの大洪水、桓武天皇の弟である早良(さがら)親王の死によるたたりなどから、延暦13年(794)10月22日平安京へ移された。当時から文献のみでの都で「幻の都」と言われていた。
(4)長岡京の発掘が始まったのは?
昭和29年(1954)の暮れ、向日市鶏冠町(かいでちょう)にある長岡宮朝堂院中門(会昌門かいしょうもん)跡で中山修一先生らによって初めて発掘調査されたのです。その後、次々と発掘だれ平成16年(204)までに1800回を越え、実在の都が実証された!

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