2012/8/28

長岡京市の文化財・史址を見る!4.長岡天満宮2!  文化財研修記

 京都府長岡京市天神2−15−3には、長岡天満宮がある。弘法大師空海が乙訓寺の別当であった時、寺に付随する長岡精舎を建てた所といい、又、菅原家の所領ともいう。
 菅原道真が大宰府へ左遷にあたり、この近くから乗船したという道真伝説がある。
出発時長岡精舎の坊官中小路宗則(なかこうじむねのり)・東小路祐房房(ひがしこうじすけふさ)が攝津まで見送り、道真から贈られた自筆の画像(一説には木像)を精舎に祀ったのが長岡天満宮の起源と伝えている。
 江戸時代には桂宮(かるらのみや、八条家)の所領で、延宝4年(1676)、宮が社殿を改築整備した。それゆえ、参道前の大池を「八条池」と呼ぶようになった。社殿は広く、四季折々の花が咲き、藤・ツツジが有名である。今回訪れた6月14日はツツジは少しで、花菖蒲が咲いていた。本殿は昭和16年(1941)に京都の平安神宮お社殿を移したものである。池畔にある錦水亭は「長岡京市の竹の子で有名」タケノコ料理で有名である。

1.長岡天満宮の駒札
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2.第三の鳥居
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3.第四の鳥居
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4.手水舎
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5.長岡天満宮の牛!「牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされているが、その理由については「道真の出生年は丑年である」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など多くの伝承があり、どれが真実なのか、それとも全て伝承に過ぎないのかは今となっては良くわからないものの、それらの伝承にちなみ北野天満宮には神使とされる臥牛の像が多数置かれている。伝承のうち「牛が刺客から道真を守った」というのは和気清麻呂を祭神とする護王神社や和気神社の猪の伝承との関連性が強く認められる。」ウイキペヂアより。
 野猪が守る護王神社は最後にクリックすると見れます!
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6.拝殿
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7.拝殿の扁額
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8.拝殿内部
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9.拝殿後部と本殿を見る!
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10.境内社の長岡稲荷大明神への参道
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11.長岡稲荷大明神
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12.野猪が護る京都市の「護王神社」は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1194.html

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