2012/7/27

大峯山 外史 (その2)  文化財研修記

【写真6】 母公堂。かつての女人結界だ。役の行者の母を祀っている。
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 修験道を開設しようと、深山で、一心に難行苦行を重ねる役の行者の身を案じた母公が、ここまでやって来たが、不思議な力(大蛇・八大龍王の化身)に阻まれ、前に進めなくなった場所(すなわち、女人結界)…と伝わる。 この結界は、現在の門(大橋遥拝所)まで約2キロメートル後退した(昭和45年、「男の聖域」が狭まった)。
 今は、この堂を素通りする車が多い。
 母公堂は、稲村ヶ岳1,726mへの登山口になる。稲村ヶ岳から山上ヶ岳(大峯山)へ縦走可能であるが、途中に「女人結界門」がある。 (結界門は、山上ヶ岳の四方にある)。

【写真7】 現在の結界門(大橋遥拝所)。山上ヶ岳の四方にある門の一つ。
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 番人は立っていない。約1,300年間、慣習、伝統を守っている。 (祇園祭山鉾巡行の先頭を行く、長刀鉾も女性を上げない。)
 山岳界のナデシコジャパン(高嶺撫子)。 ◎田部井淳子 世界の女性の中で、初めてエベレストに登った人。  ◎渡辺玉枝  エベレストに、世界の女性の中で、一番最高齢で登った人(63歳時&73歳時)。

【写真8】 大峰山系・八経ヶ岳の頂上(近畿最高峰1,915m)。地面に突き立てられた錫丈と女人が写り、神々しい(自賛)。
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 ポピュラーな登山口は、行者還トンネル西口である。途中で、大峯奥駆道(修験の道、吉野から熊野まで)に合流する。奥駆道を登ると「聖宝ノ宿」跡があり、さらに弥山へ至る。ひと登りすれば、八経ヶ岳の山頂である。途中、清楚なオオヤマレンゲが、鹿よけネットに囲まれ保護されている。
 一般的に大峯山と言えば「大峯山寺のある山上ヶ岳1,719m」になる。しかし、「100名山の大峰山は八経ヶ岳」を指している(作者の深田久弥が「大峰山 1,915m」と表示)。 今、女人禁制は山上ヶ岳一山になった。
 大峰山と呼ばれる単独峰はない。大峰山とは、山上ヶ岳、大普賢岳1,780m、弥山・八経ヶ岳、釈迦ヶ岳1,800mを含む大峰山系の山々の総称である。
 吉野山から大峯山系を経て熊野本宮大社に至る約80キロメートルの道を「大峰奥駆道」と言い、修験の道になっている。 回数を重ね、訪ねることが重要とされる。
 2004年7月、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界文化遺産に登録された。
 高さを競うとすれば、西日本の最高峰は四国の霊峰・石鎚山1,982m(頂上直下の弥山に石鎚神社頂上社がある)。 日本の最高峰は富士山3,776m、次は北岳(南アルプス)3,193m、3番が奥穂高岳(北アルプス)3,190m。 三霊山は、富士山+2山(立山三山、白山、御嶽)。

【写真9、10】 荒行の一つ「西の覗き」 (撮影 T・村上)
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 白い命綱と先達に身を預け、絶壁に身を乗り出す。先達が、さらに身を押し出し、「親孝行をするか」「悪いことをしないか」と問う。「はい」と(心から)答えるまで続く。 少し前に小雨が降り、ガスっている。

【写真11】 綾部井倉の金綾教会が建立した「参拝供養塔」の一つ。結界門の手前(昨年、撮影)
 
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 金綾教会が2基を建立している。一つは、写真の塔。結界門の手前なので、女性も拝める(昭和53年7月 建立)。もう一つは、山中の荒行場の手前にある(昭和15年7月 建立)。それぞれの前で、般若心経を唱える。
 大峰山(山上ヶ岳)での挨拶は「よう お参り」。他の山では「こんにちは」だ。大峰山では、古代からの宗教的な色合いを尊重しあい、非日常の世界を(男たちが)楽しんでいるかのようだ。

【写真12、13】 大峰山寺妙覚門  銅版の寄進者芳名録
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 妙覚門を入った左右に、銅版の寄進者芳名録がある。「高津大峯講」「綾部輪宝講(当時は志賀郷が中心のようだ)」の名前と個人名が連なっている。

 大峰山寺本堂(山上の蔵王堂)は、直ぐそこだ。本堂では、護摩が焚かれ、山伏、修験者一行の読経が響く。 事前に頼めば、秘仏を拝める(修行中の若い役の行者像。修行で痩せている、あご髭がない)。
 大峯山寺の維持管理は、五の「護持院」が交替で当たっている。龍泉寺(真言宗醍醐派、洞川にある)、東南院(金峯山修行本宗、吉野にある。住職は綾部出身)など。
(修験道)「役の小角(えんのおずの)を祖と仰ぐ日本仏教の一派。日本古来の山岳信仰に基づくもので、もともと山中の修行による呪力の獲得を目的としたが、後世の教義では、自然との一体化による即身成仏を重視する。」(広辞苑)。
(役の小角)「白鳳の昔、深山幽谷に分け入り、大自然の中に身を投じて、修行験得の道・修験道を開かれた」「修験道の開祖と崇められ、今はトレッキングの祖ともされる」(役の行者霊蹟札所会パンフ)。役の小角を、親しみを込めて役の行者(えんのぎょうじゃ)と呼ぶ。

【写真14】 洞川の宿(定宿)に掛かる看板
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 「綾部味方大峯講」「綾部輪宝講」の名前が見える。「京都丹波大峯講」は隣の和知の講であった。和知は由良川水系である。昔は、綾部の山家の人たちと一緒に参拝しておられたそうだ。

【写真15】 洞川の夜
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「行者祭」の提灯や「陀羅尼助丸」のネオンが見える。陀羅尼助丸は胃腸薬(第2類医薬品)で、製造元が沢山ある(吉野にもある)。土産品として定着している。

【写真16】 吉野金峯山寺・蔵王堂の前
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 参拝、読経を済ました山伏、修験者一行が下山するところ。
 吉野金峯山寺は修験道の根本道場とされる。吉野・金峯山寺(山下の蔵王堂)と大峯山寺(山上の蔵王堂)の本尊は、蔵王権現である。両寺は、近世まで「金峯山寺」と総称される寺院群の一部であった。
 金峯山寺の執行長は田中利典さん、東南院の住職は五條良知さん。2人は兄弟で、綾部の出身。門前町の土産屋の主人に「綾部の両方に、お世話になっております」と挨拶をいただいた。 (文化財を守る会が、蔵王堂で田中利典さんのお話を聞かれた折の報告記録があった、と記憶している)。

<参考資料>吉野の国宝と文化財を訪ねて 役行者・修験道と金剛蔵王権現
 金峯山寺宗務総長:田中利典師の法話を拝聴した記事も収録しています 
http://www.ayabun.net/kensyu/yosino2/yosino.html


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