2012/7/27

大峯山 外史 (その1)  文化財研修記


「大峯山について投稿を」と勧められたが、「先達さん」に案内してもらう身、修行不足の身である。 そこで、出来るだけ、丹波、綾部との関わりを探してみた。(今回、なべちゃんの指導を受け、投稿をブログにしたよろしく

 7月13日の夜10時30分頃、綾部駅北口で、山伏、修験者多数(男女)に出会い驚いた。「幻」ではないかと疑った。金綾教会(綾部井倉、金峯山修験本宗)一行が、大峯山へ参拝するため、大型バスを待っておられるところであった。

【山開き】 シーズンになると、あちらこちらの「山開き」が報じられる。
 「古く登山は宗教的な行事であり、平日は霊山の登拝を禁じ、夏季一定の期間だけ禁を解いた。これを山開きといい、開山祭を行って山の神をまつり登山の安全を祈った。」(百科事典マイペディア)。  日本の登山は信仰を深めるための「行」であった。剱岳や槍ヶ岳が、行者や僧によって初登頂されたことは知られている。新田次郎の小説「点の記」「槍ヶ岳開山」がある。当時の装備(草鞋など)やルート開拓の面を考えると、偉業である。信仰の力は大きかった。

【写真1】 4月下旬  福知山・三岳(みたけ)の山開きの一コマ
クリックすると元のサイズで表示します

 中腹にある三嶽(みたけ)神社から、ホラ貝の音とともに山伏たちが下山して来た(福知山丹波山岳道場の男女)。三嶽神社は、役の行者の開祖と伝わる。 (この頃は、夫婦で山歩きをしていた)

【写真2】 5月初旬  兵庫県篠山・多紀連山の山開き
クリックすると元のサイズで表示します

 おおタワ(御嶽と小金ヶ岳の鞍部)で、登山者の安全を祈念する護摩焚きが行われる。
 かつて、多紀連山は、丹波修験道の中心で、一時、吉野大峯山よりも栄えたと言われている。しかし、意に逆らい、吉野大峯山の僧兵(山伏)ら300人に攻め込まれ、滅亡したそうだ。大峯山寺も一向宗との戦いで本堂を焼失している。長い間には、生臭い事件が起こっている。

【写真3】 御嶽(みたけ)中腹の大岳寺(みたけじ)の跡に立つ看板。 連山の各所に遺構が残る。
クリックすると元のサイズで表示します

【写真4】 山伏が矢を放つ様子(四方、中央の穢れや悪魔を払う)。大阪・富田林の滝谷不動明王寺(日本三大不動)
クリックすると元のサイズで表示します

 夫婦で金剛山を訪ねる途中に寄った。毎月、28日が不動尊縁日。山伏問答、法弓の儀、護摩供養が盛大に行われる。大勢の山伏、修験者が参集する。参拝者も多い。
 修験道の行を行う人たちを修験者、山伏と呼び、その大多数が、常日頃は仕事を持つ社会人や年金生活者である(在家信者)。
 さて、金剛山1,125mに1万回登った人がいるそうだ。(「金剛錬成会」が登拝を推奨しているので、数千回登っている人は珍しくない。) そして、9,738日も連続して山に登り続けた人がいるそうだ(東浦奈良男、86歳で死去)。この人たちは、現代版山の求道者と言えるだろう。 交通網、登山道が整備され、「100名山」(以上)を踏破?する人も多い。  *「その山の一瞬に触れた」と謙虚になろう。 *名山・雑山、高山・低山、遠所・近場、クライミング、沢登りなど…自分流に楽しもう。

【写真5】 大峯山寺の「戸開け式」(平成21年5月4日付け毎日新聞)
クリックすると元のサイズで表示します

 高年男性たちは青年に戻ったように嬉しそうだ。気分はハレ。血が騒いでいる。 50歳代後半まで、重い祭神輿を担いだので、気持ちは分かる。
 大峯山(山上ヶ岳、女人禁制)は、5月3日が「戸開け式」、9月23日が「戸閉め式」。

(続く)

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング  



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ