2012/7/16

岡目八目? 福知山の一端紹介(福知山城・城まつり・鬼ケ城など:里見さまご投稿)  文化財研修記

ローカルな(山)談義。光秀つながりに、福知山の一端です。
 大江山連峰が有名かもしれません。「昔、丹波のオオエヤマ、鬼ども多くこもりいて、都へ出ては…」(小学唱歌)のオオエヤマは、京都と亀岡との堺の大枝山(老ノ坂辺り)が有力と言われています。福知山の「大江山」では、京の都に遠過ぎるようです。小式部内侍の「大江山いく野の道の遠ければ まだ文も見ず天の橋立」のオオエヤマ、生野も、老ノ坂辺りが有力だそうです。(すみません)。

 さて、福知山出身の登山家に藤木九三(朝日新聞記者)がいます(1887〜1970年)。「(山に登る理由)そこに山があるから」という英国人・マロリーの言葉を日本に紹介(意訳)した人です。甲子園球場の「アルプススタンド」の名付け親ともいわれてぃます。近代登山の推進者として功績を残し、穂高連峰の難所・滝谷にレリーフがあるそうです。(植村直巳や単独行者・加藤文太郎は、隣の兵庫県北部・但馬の出身です)

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写真1は福知山城天守閣。昭和61年、再建。築城を始めたのは、丹波平定を遂げた光秀。
野面積の石垣には、五輪塔などの「転用石」が多い(強奪?)

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写真2は、お城まつり。福知山音頭を踊りながら、御霊神社馬場へ練りこむ連。
(あけーちみつひで、丹波を広め、ひろーめーたんばの福知山。ドッコイセ、ドッコイセ、トコドッコイ、ドッコイ、ドッコイセ…)。

 右端看板の半ば・横線まで水に浸かった時がある(昭和28年の大水害)。
 御霊神社は光秀を祀っている。光秀は、由良川の流れを変えたり、薮を作ったり
(明智薮として残る)、堤防を造り、善政を布いて感謝されている。

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写真3の地図は、「里山ねっと」作成。
丹波・綾部の小畑・本城奥から金谷峠を越え、丹後・大江町(現・丹波の福知山市)へ至り、
観音寺を経て、鬼ケ城、烏ケ岳へ登るルート図。
 山野口から、道標「おばた ものべ」を左折し、金谷峠へ戻るルートがある。
 里山ねっとの藤野さんや、小畑の村上さん、大滝さんなどに案内いただいた。
 (金谷峠について、「なべちゃん」が丁寧な紀行文を寄せておられる

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写真4は、周囲を雲海に囲まれた鬼ケ城の山頂。遠くの峰々が雲海に浮かんでいる

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写真5のアンテナが立つ山は、烏(からす)ケ岳。鬼ケ城の山頂から見ている

鬼ケ城は、福知山盆地を北側から見下ろす山で、360度展望(但馬、丹波、丹後の山々)。
雲海が素晴らしい。
 大江町の大田さんたちが、山頂の木々を伐採し、眺望がきくよう管理されている。感謝。

参考データ
金谷峠(丹波・丹後歴史街道)http://nbcayabe.justhpbs.jp/0jshp/bunka/06kanayatoge/kanayatoge.html

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