2012/5/22

京都の特別展を見る!6.4度目の挑戦で阿弥陀ヶ峰の豊国廟に登る!  綾部の文化財

豊国廟は豊臣秀吉公の墓所で、元の豊国社である。過去3度京都の阿弥陀ヶ峰の太閤担(たいこうだいら)までは智積院から徒歩で登って来た。豊臣秀頼が豊臣秀吉亡き後、80余もの社殿や僧坊を造り、やがて豊国大明神の神号が下された。慶長9年(1604)8月の7回忌の臨時祭りが有名で、豊国踊りや風流踊りが盛大におこなわれたのが、有名な「洛中図屏風」に描かれて、その屏風は今の、方向寺の横の豊国神社(唐門は国宝)の宝物館で見れます。その思いを目で描いてはいたが、石段参道の急勾配と先が見えないのに怖気ずいて登ったことがなかった。今回は2ヶ月の鍛錬を得て、漸く登る決心で来たのだ。山頂までは4回休み、帰路は2回の休憩で初参拝を達成した。
 応援して頂いた浜松と滋賀県守山市の女性ブロガーの方に御礼申し上げます。

1.智積院横から反対側の「豊国廟参拝碑」を見て、徒歩にて右側の道を先ず「新日吉神社(いまひえじんじゃ)に向う。
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2.新日吉神社を越えると巨大な幹周4メートル以上もある京都市保存樹木の「スダジイの木」に当たる。ご神木だ!
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3.上記の駒札
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4.太閤担(たいこうだいら)前の鳥居
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5.この太閤担には豊臣秀吉公亡き後、秀頼公が80余の社殿や僧坊を建てたと言う。慶長9年(1604)の七回忌の臨時祭は有名で太閤踊りや風流踊りが華やかに行なわれたと言う。その「洛中図屏風」は今の方向寺横の豊国神社の宝物館で見ることが出来る。豊臣家滅亡後は朽ちるに任せその面影は欠片もない。
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6.この太閤担の左端には明治37年(1904)に豊臣秀吉の側室・松の丸(元武田元明の妻・龍子・京極高次の姉)と秀頼の子・国松君の墓を改葬している。(下記の墓)
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7.第一の石の参道(入山料50円を投入して参拝へ)
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8.左側の駒札
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9.途中から下を見る!おっかない!高度恐怖症?ニューヨークでヘリコプターでビルの間を飛行して、かろうじて気絶せず!
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10.やれやれ第一の山門が見えて来た!
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11.第一の山門とその裏の更なる石段
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12.第一山門から上を見る
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13.途中から下を見る
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14.期待した京都市内は絶景どころか樹木覆われ全然見えず。一番上の豊国廟も同じ。
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15.巨大な石の「豊国廟」に参拝
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16.付近の案内板によると阿弥陀ヶ峰は標高たったの193.5メートル!急勾配だけで難物!下、付近の燈籠で最も古い明治18年のもの。
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