2012/1/19

伊豆・遠州の文化財・史址を見る!7.源頼朝の配流の監視役であった伊東祐親の墓を見る!  文化財研修記

伊豆の伊東市物見公園近くには伊東祐親の墓(五輪塔)がある。この界隈は伊東一族の館があっと所です。平安時代末期、伊豆に配流となった源頼朝を監視する役割となったのが伊東祐親である。最後には平家方に殉じて自害したためか、父祖伝来の墓地のある伊東市の東林寺で無く単独にお墓(五輪塔)が建てられていた。このことは「曽我物語」にも書かれている。平治の乱後、捕虜となった頼朝は平清盛の継母の池禅尼(平忠盛正室の宗子)の歎願ににより助命されこの伊豆配流となった話は有名である。頼朝は、伊豆配流中に成人したが、しばしば伊東の地へ足を運び、祐親の女(むすめ)八重姫と結ばれ一子をもうけたが、祐親が京都警備の任務を終えて帰郷した時、二人の結びつきを知り、その子を海中に投じて死亡させ、八重姫は他に嫁がされる悲劇となった。伊東一族はこの地の大豪族として鷹野、河津にも領地を持っていたが一続の内紛で祐親の息子・河津三郎祐秦(相撲の中興の祖・河津かけで有名)は又従兄弟の工藤祐経の家臣に暗殺され、「曽我物語」に登場する祐秦の息子の曽我十郎・五郎に仇討ちされたのであった。次には、源頼朝と八重姫の逢引きの音無神社や森、二人の間の子供の千鶴松のため八重姫が創建した最誓寺をも訪れます。

1.伊東祐親のお墓の駒札
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2.伊東祐親のお墓
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3.伊東祐親のお墓(五輪塔)は鎌倉時代のもので有ります。
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4.お墓は鎮守の森のようで、背後には古木の巨大な木があります。
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5.現皇太子殿下浩宮徳仁親王参拝記念碑があります。
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6.故高松宮殿下の参拝記念碑もあります。
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