2012/1/5

東近江の文化財・史址を見る!24.彦根市を歩く!ボランテアガイドさんの案内で佐和山城跡に登る!  文化財研修記

佐和山城は鎌倉時代初期、近江源氏・佐々木定綱の6男六郎時綱が城を築き、佐和氏を名乗ったに始まる。その後、佐々木氏は南の六角と北の京極に分かれて対立、佐和山城は接触点として争奪が繰り広げられた。文禄4年(1595)秀吉の家臣石田三成が入って大修築を行い「三成にすぎたるもの、島左近(三成の重臣で今の清涼寺に館があった。)と佐和山の城」と呼ばれるほど堅固な城となった。しかし三成が関ヶ原の戦いで敗れると、徳川方の攻撃を受け落城した。この時城中の女子供が断崖から谷へ身を投げた。その谷を女郎ヶ谷といい鳥居本側にある。3日3晩にわたって師にきれない女の悲鳴が聞こえたという。関ヶ原の功で佐和山城を貰いうけた井伊氏が領民の三成への思慕を断ち切るため、徹底的に破壊、城中の陣鐘は龍潭寺の梵鐘に、又多くの材木、石垣の石等は彦根城築城に使っており、今では石垣もなく当時の佐和山城の水源で、千貫文値打ちがあるといわれた「千貫の池」くらいです。其処から撮影した彦根市街を「音声付動画」で見て下さい。
 標高233Mの佐和山の頂上に登るには龍潭寺の墓地の横からの道が一番近いが大変峻嶮です。下記2.に掲載の地図の左上の赤いマーク(龍潭寺前の駐車場)には3月末〜11月末の土・日・祝に「佐和山観光案内所」があり、登山地図を貰いに立ち寄ると、「案内しましょうか?」とのことで、一人ですが、ボランテアガイドの久々宮重徳氏に無料で案内してもらい、登山しました。佐和山は清涼寺の土地であり5名以上同時に登山するなら「清涼寺の許可書」が必要です。尚、交通費千円のみで無料で案内して貰えます!予約は1週間前まで可能。彦根市観光案内所はFAX:0749−22−6849、TEL:0749−22−2954、URLはhttp://www.hikoneshi.com/guide/です。

1.佐和山城跡登山マップ
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2.龍潭寺前の佐和山城跡の説明板
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3.井伊神社近くから見る佐和山(標高233メートルの峻険な佐和山頂上の本丸跡を見に登る。)
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4.龍潭寺のお墓横寺のを通って佐和山登山開始!
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5.大分登った所で龍潭寺のお墓を見下ろす!
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6.佐和山城跡への案内板!後ろは畝状竪堀(うねじょうたてぼり)敵が登って来るのを防ぐための堀の一部)
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7.西の丸近くの煙硝蔵跡へ!
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8.煙硝蔵跡に残る瓦の残骸をみせる久々宮ガイドさんです。
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9.西の丸跡で説明の久々宮ガイドさん。
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10.西の丸跡は左側です。
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11.西の丸跡から琵琶湖が見える!
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12.西の丸から本丸へ!下は敵の進入を防ぐ畝状竪堀(うねびじょうたてぼり)!
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13.西の丸から本丸への途中から琵琶湖が見える!
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14.本丸跡へ到着!
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15.本丸跡1.
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16.本丸跡2.
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17.下記をクリックして、本丸跡を「音声付動画」で見て下さい。U−tubeの画面が出たら、更にその右下の拡大画面をクリックして大画面で見て下さい。
http://youtu.be/gH5sPn0-lgM

18.眼下に彦根城、彦根市街、琵琶湖が見える!此処は千貫の価値ある井戸があった「千貫井」の跡です。
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19.もう一度本丸跡を見て、時間が無いため、隅石垣や登城道はカットして、同じ道を龍潭寺前へ下りました。
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