2011/12/20

東近江の文化財・史址を見る!8。国宝の彦根城と国名勝指定庭園の1.!  文化財研修記

古くから、交通や戦略上の要衝であった彦根の地は、様々な、時の有力者が治めていました。慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦で徳川家康率いる東軍が勝利すると、石田三成に替わり、徳川四天王の一人・井伊直政が佐和山城主となり、ここに彦根藩の基礎が築かれました。井伊直政は、関ヶ原の合戦で受けた鉄砲傷がもとで、慶長7年(1602)に、この世を去りましたが、佐和山城に替わる新たな城郭の建設という彼の夢は、その息子・直継と直孝によって引き継がれ、この彦根山に天下普審の城として幕府の全面的な協力のもと西国12の大名手伝いで、慶長9年(1604)から彦根城の築城が開始され、国宝の天主閣は京極高次が築いた大津城から移され慶長12年(1607)頃には天守が完成したとされています。 その後、一旦中断していた工事は、元和元年(1615)大坂夏の陣の後、再開され、表御殿の造営、三重の濠と櫓、町割の整備、街道の整備が進められ、城下町を含む彦根城の基本的な形は元和8年(1622)までには、ほぼ完成しました。以来、彦根は江戸時代を通じ、徳川幕府の重責を担う、譜代大名筆頭・彦根藩井伊家の城下町として栄え、その居城であった彦根城は、その後も気高い雄姿を誇り続け、平成19年(2007)には、彦根城築城400年を迎えした。又、現在では平成13年に彦根ボランテアガイド協会が設立され、約70名の男女のボランテアガイドさんが案内に活躍されて、彦根市をPRされています。小生も後日紹介する石田三成の「佐和山城市址見学登山」に無料でご案内頂きました。彦根んボランテアガイド協会のURLはhttp;//www.hikoneshi.com/です。

1.国重要文化財の佐和口多聞櫓前の有料駐車場に駐車した。この駐車場の奥の橋が表門橋です。
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2.国重文の佐和口多門櫓
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3.同上 説明板
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4.多聞櫓の内部
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5.三角の鉄砲狭間(てっぽうはざま)や四角の矢狭間が見える!
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6.彦根城の模型(正面の斜めの橋が佐和口門橋!)
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7.国重要文化財の馬屋の案内板
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8.国重文の馬屋内部
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9.彦根城博物館「表御殿」
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10.表御殿には能舞台がある!
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11.表御殿の庭園は第4代藩主の直興(なおおき)が下屋敷として造ったものです。
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12.見事な庭園は下記をクリックして「音声付動画」で見て下さい。U−tubeの画面が出たら、更にその画面の右下をクリックすると大画面で見れます!
http://youtu.be/d88wIHpqxKM

13.同上 2.
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14.表御殿御座の間「別称は槻(けやき)御殿」と言われています。
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15.庭園 3.
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16.表御殿「別称は槻(けやき)御殿」
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17表御殿「別称は槻(けやき)御殿」の地図
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18.庭園 4.
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19.彦根城博物館「表御殿」を出て、天主閣に向かって登る!物凄い人!以降は次回!
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