2011/12/17

東近江の文化財・史址を見る!5.国名勝庭園指定の胡宮神社と珍しい臨済宗・永源寺派の正覚禅寺!  文化財研修記

と 足下に名神高速道路を見下ろす眺めの良い丘陵地に建ち、寿福・延命にご利益があると伝えられている。青龍山(せいりゅうざん)の巨石信仰が起源といわれる祭神は多賀大社と同じ伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)更に事勝国勝長狭命(ことかつくにかつながさのみこと)の3柱を祀り、多賀社の南方2キロメートルにある小高い丘(神体山)に鎮座する。 。もとは敏満寺(びんまんじ)の鎮守社であったので、敏満寺の境内であったといわれる所に建っている。敏満寺は湖東三山と並ぶ規模を持った巨刹で、本堂を中心に多数の堂等が甍を並べていたが、永禄5年(1562)浅井長政の焼き討ちあい、元亀3年(1572)にも織田信長にも焼かれ廃寺となった。胡宮(このみや)神社内にその礎石はいくつか残り、金銅跡を示す石碑が立っている。塔頭の福寿院が、胡宮神社の神護寺となって明治まで続いた。福寿院の庭園は現在「胡宮神社社務所庭園」として国名勝指定となっている。山の傾斜面を利用した池泉観賞式艇庭園で、サツキやクチナシの刈り込みが壮観です。当社の本殿は県指定文化財で寛永15年(1638)のもので三間社流造・桧皮葺・蟇股(かえるまた)・手狭(たばさみ)などの彫刻もはなやかである。当社は奈良の東大寺堂塔再建に力を尽した俊乗房重源(しゅんじょうぼうじゅげん)が建久9年(1198)に寄進した国重文の「金銅製五輪塔」と寄進状などの古文書が伝えられている。これらは側の「多賀町歴史民俗資料館」で見ることができる。

1.胡宮神社札(このみやじんじゃ、西側参道前)
クリックすると元のサイズで表示します

2.西側参道左側の巨大な自然石の燈籠
クリックすると元のサイズで表示します

3.西側参道の鳥居(通常バス・乗用車はこの左側の駐車場です。)正面には駐車場も無くバスは入れません。)
クリックすると元のサイズで表示します

4.胡宮神社西側参道前の境内図(左端が現在地)
クリックすると元のサイズで表示します

5.此処から名神高速道路下を潜り、胡宮神社の正面参道へ行く!途中右手に珍しい臨済宗永源寺派の正覚禅寺の山門と左は鐘楼を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

6.同上 山門と内庭
クリックすると元のサイズで表示します

7.同上 見事な鐘楼(時間がないので下記をクリックして臨済宗永源寺派本山永源寺のHPを見て下さい。http://eigenji-t.jp/
クリックすると元のサイズで表示します

8.敏満寺仁王門の駒札(名神高速道路橋の下)
クリックすると元のサイズで表示します

9.敏満寺仁王門址碑
クリックすると元のサイズで表示します

10.正面の大鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

11.大鳥居から紅葉の名所の参道を見る!11月20日(日)紅葉はまだ早かった!
クリックすると元のサイズで表示します

12.右、神輿蔵
クリックすると元のサイズで表示します

13.奈良東大寺の堂塔の再建に尽力を尽くした僧・俊乗房重源がこの敏満寺建久9年(1198)に寄贈した国重要文化財の「金銅五重塔」の記念碑
クリックすると元のサイズで表示します

14.胡宮八景詩文の二つ(この高台からは湖東平野の美しい風景が見られる。次回「音声付動画」で見て頂きます。
クリックすると元のサイズで表示します

15.悲劇の南朝四代後光厳天皇行在所跡碑(当時は北朝第100代後小松天皇のときで、その後小松天皇の皇子が頓智の一休さんで、京田辺市にある酬恩庵に一休さんの墓地があり、一休宗純和尚の彫像は本人の髭が附いてます。)
クリックすると元のサイズで表示します

16.天平勝宝3年(752)時代の近江の現在地の湖東の地図が奈良の正倉院にある諭旨の碑
クリックすると元のサイズで表示します

17.この高台から名勝八景が見られた諭旨。次回をお楽しみに!
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して頂ける方は下記のFC2ブログランキングをクリック願います!
fc2トラックバック
ランキングバナー 




コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ