志賀の七不思議の一つ、西方町の
藤波神社の白藤
志賀の七不思議その縁起
今からおよそ1400年前の
崇峻天皇の頃、大和朝廷は国の中心勢力を固めるため、
金丸親王を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征伐することになりました。すさまじい戦いに悪戦苦闘の末、ようやく丹波の国々を平定した金丸親王はおおいに喜び、これ一重に神仏のおかげによるものと、丹波の国々に七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈りました。
また
志賀の里の「藤波」「金宮」「若宮」「諏訪」「向田:後の篠田」の五つの社を厚く信仰されたということです。
親王の子孫、
金里宰相は、この
五社の大明神に千日参りをされ、これを記念して
藤波大明神には「藤」金宮大明神には「茗荷」若宮大明神には「萩」諏訪大明神には「柿」向田大明神には「竹」をお手植えされ、国家の安泰と子孫の繁栄を祈願され、このことを大和朝廷に報告されました。
この時以来、この
志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわれるようになったということです。
なお、この五社のほかに、
向田の「しずく松」「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれ、これらをあわせ
「志賀の七不思議」として今に語りつがれています。
