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2011/9/25
東・中舞鶴の史蹟・文化財を訪ねて!その4.加佐郡唯一の明神大社・古社「大川神社」の威容を見る! 文化財研修記
京都府舞鶴市川徹光山(てっこうやま、標高200M)に加佐郡(かさぐん)で唯一の明神大社で威容を誇る本殿を持つ大川神社がある。本殿、中門等は舞鶴市の指定文化財である。大川神社の駒札によると、それに少し加筆して時代を明らかにした。開創は5世紀末、応神王朝の末の第21代雄略天皇の長い治世の後、孫で第23代顕宗天皇元年(けんそうてんのう、485)4月23日宮柱が立てられ鎮たんご祭したところから始まったとされている。その後、天武天皇5年(678)勅使をもって幣帛(へいはく)が捧げられ、さらに持統天皇7年7月(693)には「祈雨の政」が行われたことを伝えています。平安期に入ると「三代実録」によれば貞観元年(859)正月27日「京畿七道諸神進階及新叙、惣二百六十七社」の一として「丹後国従五位下大川神社」とあり、神位の昇進があり、又同13年11月11日条に「授ニ丹後国従五位上大河神正五位下」とある。10世紀には延喜式内明神大社に列し、丹後国きっての古社であります。近世には大河(川)大明神・正一位五社大明神・天一五社大明神などと呼ばれてきた。
下って明治5年郷社となり、大正8年府社になり、大川大明神と尊称されてきました。主神は保食神・相殿に句々迺馳命神(木神)・軻遇突智神(火神)・埴山姫神(土神)・金山彦神(金神)・罔象女神(水神)の五元神が祀られています。例祭は4月29日、大祭は11月3日で、御幣渡御・種々の奉納行事があり、伝説も数多くあり、汁物として室町時代「享徳2年2月(1453)の銘がある特異な形の鎌鎚(かまやり)があります。
1.大川神社第一の鳥居

2.当神社の大祝(おおふり、神の血筋を引く者)の家

3.大祝高田薩摩守中臣昌裕建立文政12年(1829)の銘が入っている基礎石の駒札。

4.第二の朱塗りの鳥居

5.見事な中門(舞鶴市指定文化財)

6.中門から本殿を見る

7.禰宜で大祝妻の高田佑子様の歌碑

8.中門の阿吽の随神の内の「吽形の随神」

9.舞鶴市指定樹木の大ケヤキ(幹周4.65メートル)ここを登ると本殿。

10.本殿前から中門、由良川方面を見る

11.絵馬堂の中の一枚の奉納絵馬(昭和8年の銘がある)

12.本殿前の拝礼門(呼び方もいろいろ数多くの門があります)

13.威容を誇る本殿(舞鶴市指定文化財)誠に巨大で撮影に困りました!東大寺のような広場に在るのではありません。正面には12番の門があります。本殿の中には神官の方が写っていますのでその大きさがわかると思います。

14.本殿の見事な向拝の彫刻

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下って明治5年郷社となり、大正8年府社になり、大川大明神と尊称されてきました。主神は保食神・相殿に句々迺馳命神(木神)・軻遇突智神(火神)・埴山姫神(土神)・金山彦神(金神)・罔象女神(水神)の五元神が祀られています。例祭は4月29日、大祭は11月3日で、御幣渡御・種々の奉納行事があり、伝説も数多くあり、汁物として室町時代「享徳2年2月(1453)の銘がある特異な形の鎌鎚(かまやり)があります。
1.大川神社第一の鳥居

2.当神社の大祝(おおふり、神の血筋を引く者)の家

3.大祝高田薩摩守中臣昌裕建立文政12年(1829)の銘が入っている基礎石の駒札。

4.第二の朱塗りの鳥居

5.見事な中門(舞鶴市指定文化財)

6.中門から本殿を見る

7.禰宜で大祝妻の高田佑子様の歌碑

8.中門の阿吽の随神の内の「吽形の随神」

9.舞鶴市指定樹木の大ケヤキ(幹周4.65メートル)ここを登ると本殿。

10.本殿前から中門、由良川方面を見る

11.絵馬堂の中の一枚の奉納絵馬(昭和8年の銘がある)

12.本殿前の拝礼門(呼び方もいろいろ数多くの門があります)

13.威容を誇る本殿(舞鶴市指定文化財)誠に巨大で撮影に困りました!東大寺のような広場に在るのではありません。正面には12番の門があります。本殿の中には神官の方が写っていますのでその大きさがわかると思います。

14.本殿の見事な向拝の彫刻

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