2011/9/22

東・中舞鶴の史蹟・文化財を訪ねて!その2.細川幽斎も庇護した真言宗東寺派の古刹・鹿原山慈恩寺・金剛院  文化財研修記

京都府舞鶴市鹿原には関西花の寺25ヶ寺の第3番札所で真言宗東寺派の古刹・鹿原山慈恩寺・金剛院がある。当寺発行の由来書によると、この寺は平安時代初期の天長6年(829)第51代平城天皇の第三皇子・高丘親王によって創建されました。親王は第52代嵯峨天皇の皇太子でもありましたが、弘仁元年(810)藤原薬子の乱に巻き込ま廃太子され、世の無常を感じて仏門に入り、法名を眞如と称し、弘法大師の十大弟子の一人として仏法の興隆につくされたましたが、貞観4年(862)83歳の高齢で入唐して、更にインドに向かい、マレー半島南端で客死されました。
 ご本尊の波切不動明王派、第72代白河天皇の病気平癒祈願の為、永保2年(1082)若狭の国から勧請されたもので、帝の病気はこの不動明王力によって忽ち平癒しました。
 帝は大いに満悦し、当時荒廃していた当山を復興し、三層の塔を建立して眞如親王を追善供養し、勅願寺として「慈恩寺」の寺号を下賜されました。
 また、第74代鳥羽天皇の皇后美福門院も深く仏法に帰依し、平忠盛(清盛の父)を造営奉行に命じ、久安2年(1146)新に阿弥陀堂を建立し堂塔を修復するなどして、当山は本坊の金剛院の外に十二坊舎、食堂、浴室なども整備され全盛期を迎えます。
 この様に当山は皇室の庇護も厚く、その後の戦国動乱や天災人災にも耐え今日に至っていますが、江戸時代には歴代の田辺城主も当山を外護し、三重塔から本堂に到る山腹の楓は細川幽斎の植樹で、秋には全山紅葉に映え訪れる人が絶えません。また境内地南西「鶴亀の庭」も幽斎作と伝えれています。
 ご本尊の波切不動尊(秘仏)弘法大師入唐渡海時の故事に因み、海難除け、重病平癒、火
難、水難等全ての災難を除く仏様として、広く人々に信仰されています。

1.金剛院京都府歴史的自然環境保全地域
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2.金剛院山門
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3.本堂・三重塔への案内板(この参道も秋には見事な紅葉の楓(かえで)の参道となる。)
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4.樹齢1,000年の榧(かや)の木への案内板
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5.樹齢1,000年の榧(かや)の木
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6.国重要文化財の見事な金剛塔婆(三重塔、室町時代、方三間、杮葺(こけらぶき)、初重内部には四天柱と来迎壁・仏壇を持つ)
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7.石段の参道(104段)と本堂を見る(両側の楓は細川幽斎公により植樹されたもので秋の時期には見事な紅葉が見れます)
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8.本堂に向かって左側には舞台造りの「雲山閣」がある。
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9.見事な本堂です(正面からだと全体が撮影出来ないので右側から撮影した)
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10.本堂左端と雲山閣を見る
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11.鐘楼
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12.本堂前から石段と三重塔を見下ろす。紅葉の時期には細川幽斎が植樹した楓が色鮮やかに囲む)
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13.紅葉の金剛院塔婆
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14.宝物館(入山料は200円、宝物館入館料500円、中には国の重要文化財が数多く展示されています。下の写真は、阿弥陀如来坐像(重文、平安後期)、その外に多聞天立像、増長天立像、阿形・吽形の仁王像(鎌倉時代)、執金剛神立像・深沙大将立像(快慶作、鎌倉時代)薬師十二神将図(重文、室町時代)など。
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