2011/9/21

東・中舞鶴の史蹟・文化財を訪ねて!その1.西国33ヶ所第27番霊場・青葉山「松尾寺」  文化財研修記

京都府舞鶴市松尾には西国33ヶ寺の第27番札所・真言宗醍醐寺派の古刹青葉山「松尾寺(まつおでら)」がある。京都府と福井県の県境の青葉山(標高699M)は福井県側の高浜町から見ると東西に並び立つ双峰が一つに重なり、その秀麗さにより「若狭富士」を呼称されている。後陽成天皇の皇子八条王子は次のように詠っている「富士なくば 富士とやいわん 若狭なる 青葉の山の 雪のあけのぼ」。又、寺の御詠歌は「そのかみは いく世経ぬらん 便りおば 千歳もここに まつのをのてら」更に、古今伝授で有名な細川藤孝(幽斎)の和歌は「いつしかと 花の木末も 青葉山 なべて緑の 色も涼しき」息子の細川ガラシャの夫・忠興は「世の中に あらん限りの 言の葉に いくぞかえりの 春や松の尾」と。この山は死火山で大昔には火焔を吹き上げ、噴流はこの若狭の海に注いで凄まじい水煙をあげていたものと思われる。この厳しい峻険な山では、早くから修験道修行の場であった。
 慶雲年間(704〜708)唐の僧・威光上人が青葉山の二つの峰を望んで、中国に良く似た山・馬耳山がという霊験のある山があったと思慮された。登山されたところ、松の大樹の下で馬頭観音を感得されたと言う。そこで草庵を結ばれてのが和銅元年(708)と伝えられている。以来1300年を経ており、元永2年(1119)には鳥羽天皇の行幸があり、寺領4千石を給い、寺坊は65をも数えるほどに栄えた。この寺にある国宝の絵画「白象に乗った普賢延命菩薩像」は鳥羽天皇の皇后・美福門院の所持する念持仏であったといわれている。この国宝の絵画は春・秋の宝物館開館時のみ拝見できます。(拝観日チェック要)、その後、度重なる火災にあったが、その都度、細川幽斎やその後の藩主京極家によって復興され、現在の本堂は藩主牧野英成により江戸時代の享保15年(1730)に修築されたものである。当寺の本尊・馬頭観世音菩薩は西国33ヶ寺で唯一の観音像で77年に一度開帳される秘仏です。2009年に開帳されたので次は2086年にご開帳です。

1.国道27号線松尾寺口の道路は閉鎖中、27号線を福井県高浜町まで行き、そこからの道路で松尾寺へ上るのが良い。下記掲載の地図参照
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2.松尾寺の自家用車駐車場(400円)から左上の仁王門前の巨大な触瓶を見る!
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3.見事な彫刻の仁王門
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4.仁王門の扁額
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5.西国33ヶ寺第27番札所松尾寺
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6.石段に向かって左側に「勅旨門」がある
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7.本堂「享保5年(1720)着工、10年かかって完成。本堂は5間(9メートル)四方、二重・宝形造りで向拝1間、軒唐破風付(のきからはふう)、堂内は凹形の外陣とは凸形の内陣からなっている。)
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8.本堂前の巨大な銅造りの燈籠
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9.本堂に向かって左側の経堂
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10.同じく左側の地蔵堂
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11.本堂に向かって右側の弘法大師像
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12.見事な本堂の向拝、軒唐破風付
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13.本堂内の外陣
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14.本堂に向かって右側から本堂を再度見る
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15.本堂に向かって右側の「大師堂」本堂と渡り廊下で繋がっている。
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16.大師堂内の役行者の像
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17.鐘楼
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18.鳥羽天皇お手植えの銀杏の木の駒札
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19.鳥羽天皇お手植えの銀杏の木
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20.松尾寺から福井県大飯町方面を見る
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