2011/9/14

細川ガラシャと宮津城の遺構を探す!2時間ウオーク!  文化財研修記

京都府宮津市「丹後国国府」には細川藤孝(幽斎)・忠興父子の築城による宮津城がかってはあったが明治初年に取り壊され、現在はほとんど痕跡をとどめていなかった。しかし,
宮津市・有識者・こころある市民の「街興し」の一環として、平成21年11月この宮津城の堀となっていた大手川を改修し城壁を復元する起工式を行い、平成22年4月には城門であった「太鼓門」を宮津小学校裏面から正面へと移築して整備した。又川を堀とする城壁も平成23年8月完了した。更に、江戸時代の藩士大村家の子孫がこの跡地の小さな公園に8月歌碑を寄贈された。その新しいなった城壁や残っている遺構を徒歩で見て廻ります。
 この宮津の町は安土桃山時代に織田信長の命を受けて丹後を平定・支配した細川藤孝・忠興親子が築いた城下町をその礎としますが、この忠興の妻が戦国の世の悲劇の女性、又敬虔なカトリック教徒として知られる細ガラシャ(玉子)です。
 玉子は永禄6年(1563)明智光秀の三女として生まれ、16歳で父の盟友細川藤孝の長子・忠興に入嫁、天正8年(1580)細川親子の丹後入国に伴い宮津いりをしました。
 その2年後、本能寺の変により逆臣の娘として、忠興に離縁され、子供達と引き離され、味土野(今の弥栄町、詳細は下記をクリックして見て頂けます。)の辺境で3年間の幽閉生活を強いられますが、後に復縁し、大阪玉造にある細川屋敷へ移り住みます。そしてカトリックの洗礼を受け「ドンナ・ガラシャ(恩寵、神の恵みの意味)」の霊名を授かりました。
 しかし、大阪へ移った後も宮津で子供を生むなど、丹後国主の妻としてこの地との行き来は続けており、また領地丹後におけるカトリックの布教を計画していたことも知られており、彼女はこの地に深い愛着を持っていたことがわかります。
 ガラシャは慶長5年(1600)の関ヶ原合戦に先立ち、敵将石田三成の人質となるのを拒み、身ら玉造の屋敷に火を放ちその生涯を終えますが、戦国武将の妻として、明智光秀の娘であるが故に辿った数奇な運命、カトリックへの教義への傾倒と信仰を守り抜いたその生涯は、当時布教のために日本に訪れていた宣教師達の手をえて、遠くヨーロッパの地で広く紹介されました。
 例えば1998年ウイーンの劇場でガラシャを主人公とした「TANGO(丹後)の奥方」というオペラが上演されるなど、彼女は当時のヨーロッパで最も知られていた日本人の一人であり、今も多くの人にその感動を伝えています。(宮津観光協会作制の駒札より一部抜粋)

1.宮津市役所前の案内板(駒札)の地図
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2.同上 拡大した「宮津城」城域
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3.宮津歴史の館(白い高層建築)をバックに大手川
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4.鶴賀の警察署の前・国道178号線の反対側にある樹齢300年以上の「たも」の木の駒札
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5.同上 たもの木は宮津城二の丸跡に立つ貴重な古木です。
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6.丹後宮津城址の駒札(鶴賀の関西電力東側の駒札)
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7.旧宮津城を偲ぶ!(駒札・武田病院西)
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8.同上 宮津城石垣の大石
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9.宮津市役所(左岸)から右岸の二の丸方面を見る。
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10.大手橋・右岸二の丸から見る平成23年8月完成の復元された城壁
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11.二の丸にある一色稲荷「天正10年(1582)一色家当主(藤孝の娘婿)義有の自刃の地。」
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12.宮津市役所西側の小公園にある「細川ガラシャの案内板(駒札)」隣が元藩士の大村邸
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13.元藩士大村邸の駒札
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14.大村邸の長屋門
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15.長屋門から庭を見る
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16.大村邸跡に大村氏の子孫が平成23年に寄贈した歌碑。
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17.勘左衛門小路(慶長5年の関ヶ原の戦いの祭、田辺城に籠城する細川幽斎を助けた漁師勘左衛門は自宅から海までの通行権をあたえられた!
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18.昔海岸であった和貴宮!宮津の名の発祥の地
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19.和貴宮の境内には巨大な海岸の大石がある。
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20.宮津小学校裏門から正面へ平成22年4月に移築された「太鼓門」1.
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21.同上 正面から見る。
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明智光秀天下分け目の合戦と細川忠興・ガラシャの愛の城・勝竜寺城は下記をクリックして見て下さい。
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