2011/9/1

国重文の本殿を持つ式内社明神大社・丹波国一之宮・出雲大神宮を紹介その2.(終)  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町には「元出雲」の通称がある出雲大神宮がある。背後に「千年山」という神体山があることから「千年宮」とも呼ばれる。いわゆる出雲大社は明治時代に至るまで杵築大社を称していたため、江戸時代末までは、出雲神社と言えば現在の出雲大神宮を指していた。
吉田兼好が徒然草の第236段で記した「丹波に出雲と云ふ処あり」の「出雲」とはこの神社のことである。地元でも混同されがちだが亀岡市下矢田町にある出雲大社教の出雲大社京都分院や島根県の出雲大社とは別法人の神社である。ただ、出雲大社との関係は深かったようで、境内に建つ「国幣中社出雲神社」の社名標は出雲大社の元・宮司で出雲大社教の創始者であり、唱歌「一月一日」の作詞者でもある千家尊福の筆による。元々は古神道で御陰山を神体として祭祀を行っていた。神社創建の年代は不詳であるが、社伝では和銅2年(709年)10月21日に社殿を建立したとある。古事記・日本書紀には国譲りの神事が記載されるが、丹波国は出雲・大和の両勢力の接点にあり、国譲りの所由によって祀られた。国史の初見は『日本紀略』の弘仁8年(818年)12月16日条「丹波国桑田郡出雲社、名神に預る」という記述であり、この時代にはすでに有力な神社になっていたことがわかる。
 延喜式神名帳では名神大社に列している。正応5年(1292年)には神階が最高位の正一位まで昇った。明治4年(1871年)5月14日には国幣中社に列せられた。戦後の神道国家管理を脱したあとに出雲大神宮と改称した。
 現在は大国主命と三穂津姫尊(みほつひめのみこと)を主祭神とし、天津彦根命・天夷鳥命を配祀するとしている。大国主命は別名 三穂津彦大神・御蔭大神としている。三穂津姫尊は高産霊尊の子で、大国主の国譲りの際に大国主の后となったと伝えている。
当社の祭神については、天津彦根命・天夷鳥命・三穂津姫命の三柱とする説や、元々は三穂津姫尊一柱のみであるという説もある。
 大国主命については、出雲国の出雲大社(杵築大社)から勧請したとされるが、逆に出雲大社の方が当社より勧請を受けたとする説もあり、「元出雲」との通称がある。当社の由緒書きには、『丹波国風土記』に「元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」との記述がある。
 現在の社殿は、足利尊氏によって貞和元年(1345年)に改修されたものと伝え、国の重要文化財に指定されている。かつては36社の摂末社を有していたが、兵火により失われ、現在は上の社、黒太夫社、笑殿社、春日社、稲荷社、崇神天皇社の6社がある。
「徒然草の世界」
 鎌倉末期、或は室町初期に、兼好法師により著された『徒然草』の236段には、出雲大神宮の事が記載されています。丹波に出雲といふ所あり。=略=

1.桧皮葺の見事な出雲大神宮拝殿
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2.拝殿横の天皇皇后両陛下の奉納を明示する!
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3.拝殿から舞殿を見る
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4.吉田兼好法師の「徒然草」案内駒札
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5.境内案内板
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6.木々の中から舞殿、拝殿、後ろの本殿を見る
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7.朱色の国重文の本殿を見る
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8.崇神天皇社
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9.上ノ社御祭神は素戔鳴尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
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10.稲荷社(宇迦之御魂神を祀る)
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11.春日社
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12.磐座(いわくら)
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13.御神体の千年山(御影山)を振り返る
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