2011/8/4

綾部史談会々員塩尻弘・篤子邸を見学調査「由井正雪書蹟」等を見る!その1.  綾部の文化財

平成23年8月3日(水)午後、川端二三三郎副会長以下綾部史談会々員12名(残念ながら会長の山崎巖先生は欠席)は京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」上杉町の塩尻弘・篤子宅を調査・見学のため訪問した。この塩尻宅は「京都府の民家」昭和48年調査書に掲載されている住宅で、国の重要文化財に指定されている京都府舞鶴市小倉の「行永家住宅」とは数代の婚姻関係にある。家屋の特徴は長屋門、式台構え、5間取り、表座敷と納屋は壁で遮断、玄関右脇は「はたや」機織り場と推定、天保3年(1831)類焼3・4年頃造立か?天保・嘉永年間の普譜帳がある、慶応4年(1868)・明治4年(1871)の家相図(加佐郡橋住攝津松浦流吉村秀彪作)、主な保存資料は延宝9年(1741)乍恐以口書願上候(総百姓が上杉谷家代官の非法を訴える書蹟がある。(綾部市史上巻350頁に訳文が掲載されている)、江戸後期の売買証文(舞鶴の田辺町の商人関係が多い)、舞鶴田辺藩の10匁藩札19枚、由井民部之亮橘正雪の寛永12年(1635)揮毫で文化5年(1808)に屏風仕立てにしたものがある。明治5年の村絵図、天保14年(1843)の箱書きの内裏雛、江戸時代末期の絵師・土佐派の分家・土佐守光孚(みつざね)預かりの掛軸3点(署名は土佐派の高弟と思慮される)。調査して驚いたことはこの江戸時代の文化財が実に見事に大事に保存されていたことであった。

1.塩尻邸の長屋門(武家にのみ許される門構)
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2.長屋門を潜った所から母屋を撮影
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3.母屋の更に奥の門を通った所に「式台構(しきだいかまえ)の玄関」(藩主等高貴な方が入る玄関)がある。(上部の扁額に注目)
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4.三間続きの部屋(ここで調査をする)右手、後ろの屏風が由井正雪の揮毫のもの。
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5.塩尻篤子さん(右側)と一緒に調査中の綾部史談会メンバー
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6.調査中の部屋の右上の槍と弓
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7.由井民部之亮橘正雪の寛永12年(1635)揮毫で文化5年(1808)に屏風仕立てにしたもの。その1.
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8.同上 その2.由井正雪の「慶安の変」は慶安4年(1651)であるからこの揮毫は本物であってもおかしくない!
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9.同上 その3.
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10.同上 その4.上部の落款
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11.同上 その5.落款(由井正雪の落款が確認できてない!インターネットで調査したが落款は見当たらない。これが初発見の落款かも?)
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