2011/7/26

山家藩谷家の武家屋敷見学と山家資料館の見学その2.旧足軽・木下家見学と山家城址の土塁  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」山家地区の広瀬町には山家城跡があります。この山家藩は陸戦の将・初代藩主谷衛友(たにもりとも)が天正10年(1582)に山家へ入部したのに始まる。谷氏は近江源氏佐々木定綱の後裔で、近江国甲賀郡谷の郷に住み「谷」を名のった、代々足利将軍家や近江の浅井氏につかえていた。父・衛好(もりよし、一時、谷野大膳と名乗っていた)の時、美濃の斉藤道三に仕えたが、のち織田信長に従うところとなり、天正4(1576)の石山本願寺攻略で木津・難波表の戦功により織田信長の感状をうけている。更に衛友(当時、甚太郎よ呼ばれていた)は秀吉方として父・衛好(大膳亮)に従って17歳の時播州三木城攻めに加わったが、毛利の大軍と戦って衛好は50歳で戦死、父の戦死の時ただちに遺体を奪い返したと云う。このときの戦功で秀吉から感状を受けている。首記2件の感状は綾部市指定文化財を成っている。クリックして見て下さい。 http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/638.html
今回は広瀬北組にある旧足軽・木下家(岩崎氏が保存のため購入)。木下家は岸首相と親交のある実業家として有名であったと言う。この家は改造され間取りも広くなり、トタン覆いとなっているが別紙のように元の間取り等が判明できます。さらに、山家城址には戦国時代初期の大規模な山城(やまじろ)跡の土塁が残っている。大変珍しいので見て頂きます。

1.士族屋敷配置図(幕末藩士覚え、と明治6年町絵図参照)
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2.江戸町にある旧(きゅう)木下家(足軽)入母屋造・トタン覆い
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3.部屋の間取り(土間から6・6・8畳の三間続き)
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4.土間から見る三間続きの部屋(土間から撮影)
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5.ぬれ縁が残っている。
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6.母屋に向かって左橋に「下屋」が昔のまま残っている。
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7.母屋の屋根の側面に見事な「家紋」が見える(小生この家紋を知りません。知っておられる方は、ここをクリックhttp://8711.teacup.com/tsuguo/bbsすると「文化財掲示板」が出ますのでこれで投稿ご一報お願い致します。)
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8.山家城址の空堀と土塁を見るため竹藪を下る。
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9.土塁1.上から順次撮影して行くと最後は上林川に至る。
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10・同上2.
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11.同上3.
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